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薩摩の石組み

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2010年 11月 29日

№11国分舞鶴城址・こくぶまいづるじょうし

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南に水堀、北に山を擁した舞鶴城跡
■霧島市国分広瀬西の国道10号交差点を起点とする県道60号国分霧島線を北へ約3.4km進み、国分中央1丁目交差点を東南方向に約400m行くと舞鶴城跡に着く。
 舞鶴城は慶長9年(1604)島津義久が築城した。義久は隼人の富隈城からここに移り、慶長16年(1611)に亡くなる迄ここを居城とし、義久亡き後は三女亀寿姫がこの城で過ごした。城は濠を隔てて池之馬場に面し周囲は野面石積みで囲まれている。また、島津斉彬は幕末の頃、鹿児島の鶴丸城が海に近接し国防上問題があるとして、ここ舞鶴城に移転を検討したと伝えられている。現在は国分小学校と県立国分高校敷地となっている。                     【鹿児島県の歴史散歩】
場所:霧島市国分中央、東経130度46分24秒、北緯31度44分26秒。
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島津義久没後、舞鶴城には三女亀寿姫が寛永7年(1630)に亡くなるまで、ここに居住した。

by ishigaki2010 | 2010-11-29 11:41 | 城の石垣


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