2011年 09月 18日
写真195 17世紀に築造された長崎堤防護岸■アクセスと歴史背景 薩摩川内市若松町の隈之城川に架かる母合橋から川内川左岸の県道43号川内串木野線を下流に約8km進むと高江町長崎の長崎堤防に着く。 第19代藩主島津光久は小野仙右衛門を普請奉行に任じ、この地の大規模な干拓工事を命じた。延宝7年(1679)に着工し、約8年の歳月を費やして貞享4年(1687)に竣工した。川内川左岸高江地区のこの広潟は、周囲3里、堤防の長さ360間(640m)開発された新田の面積が300町歩にも及ぶ立派な水田に生まれ変わり、そしてこの堤防を長崎堤防と呼んだ。仙右衛門は苦心の末、鋸の刃のような形の堤防を考案して、川内川の激しい水流を抑えることができたと伝えられている。この鋸の刃状の突起部は7ヶ所あり、潮流の調節をなすもので、工学的に価値あるものと云われている。 【現地案内文】 場所 : 薩摩川内市・高江町 北緯 31゚49′43″ 東経 130゚14′10″ 写真196 木曽川治水に先立つこと約70年前の薩摩藩の治水工事
by ishigaki2010
| 2011-09-18 17:13
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