薩摩の石組み

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カテゴリ:石垣( 19 )


2011年 11月 07日

№150 美山の石垣

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写真353 元外相東郷茂徳邸の正門と石垣 
アクセスと歴史背景                 
日置市東市来町のJR東市来駅前から国道3号を鹿児島方向に向かい、美山入口の跨線橋から県道24号鹿児島東市来線を伊集院方向に約1.3km行くと美山交差点に着く。ここから美山集落の美山上の方に約200mに進むと道路左側に元外相東郷茂徳記念館がある。
東郷茂徳氏は薩摩焼発祥の地、美山に渡来した陶工の末裔で先の大戦の開戦・終戦時には外務大臣の職にあり、戦後はA級戦犯に指定される等波乱に満ちた人生を送った。昭和53年「昭和殉難者」として靖国神社に合祀されている。なお、記念館敷地内には生家跡や東郷家の登り窯跡がある。【東市来町誌】
場所:  日置市・東市来町美山 北緯 31゚38′36″  東経 130゚21′41″
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写真354 正門左側の石垣塀 8段積み,高さ2.4m
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by ishigaki2010 | 2011-11-07 10:11 | 石垣
2011年 11月 06日

№148 八重の棚田 

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写真348 八重の棚田の里山風景
■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市から国道328を薩摩川内市に向かって走る。鹿児島市郡山町の入来峠手前から市道を西に入る。笹之段の八重山公園を過ぎて約2kmの所に甲突池がある。その南斜面に「八重の棚田」が展開している。
 甲突池は「平成の名水百選」に環境省から認定をうけている。なおこの池は、鹿児島市街地を貫流する、流路延長約25kmの甲突川の源泉で明治の初め頃に付近の水田の水源として造られたと云われている。「八重の棚田」は約240枚、総面積約12haで、明治から昭和にかけて開田されたものであるが、棚田は標高約400mの位置にあり、北に標高677mの八重山、南に流域面積約106km2の甲突川の流域が展開しており、棚田の石垣と八重の自然の重なりが素晴らしい。                 【現地案内文】        場所: 鹿児島市・郡山町上之丸 北緯 31゚43′48″ 東経 130゚27′21″ 
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写真349 手入れの行き届いた棚田の石組み 24段積み,高さ約4m
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by ishigaki2010 | 2011-11-06 20:02 | 石垣
2011年 11月 05日

№143 花倉の共同井戸

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写真336 賑やかであった共同井戸は湧水量も減っている
■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市吉野町花倉の国道10号とJR日豊本線の立体交差地点から花倉病院方向に約100m程の線路脇に花倉集落の共同井戸がある。
 この共同井戸は、かつては、背後の吉野台地を水源とする水量豊かな湧水で、賑やかな井戸端会議の光景が見られた場所と思われるが、今は湧水量も減少して、ひっそりとしている。なお、花倉地区は吉野火砕流の溶結凝灰岩の露頭が各所に有り、崖崩れが多発する地区でもある。                       場所: 鹿児島市吉野町花倉 北緯 31゚37′27″ 東経 130゚35′22″ 
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 写真337 石垣のみが昔の面影を残している 高さ3.6m 10段
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by ishigaki2010 | 2011-11-05 09:40 | 石垣
2011年 11月 04日

№142 竜ヶ水の石積み

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写真334 竜ヶ水集落跡の石積み ■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市吉野町三船の三船病院から国道10号を竜ヶ水方向に約800m進むとJR日豊本線沿いに石垣に囲まれた竜ヶ水の集落跡がある。
 竜ヶ水地区は鹿児島市磯から錦江湾沿いを姶良方向に約4kmの距離にあり、姶良カルデラの火口壁に位置している。竜ヶ水の背後は標高約300mの吉野台地が広がっている。台地の崖面に露頭している地層は鹿児島地学会編の「かごしまの自然」によると、標高約200m迄は第三紀の火山岩で、その上部には砂層と粘土層の竜ヶ水層(厚さ約6m)があり、更にその上部は溶結凝灰岩(厚さ約60m)、シラス(厚さ約18m)、火山灰層(厚さ約5m)となっている。竜ヶ水地区は文字通り豊富な湧水に恵まれ、吉野台地の地下水は上述の竜ヶ水層から湧出している。                   【かごしまの自然】
場所:  鹿児島市・竜ヶ水 北緯 31゚38′25″ 東経 130゚ 36′07″
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写真334 湧水利用のカラー栽培
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写真335 豊富な湧水によるカラーの栽培地は石積みで囲まれている
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by ishigaki2010 | 2011-11-04 21:45 | 石垣
2011年 11月 04日

№140 磯・仙巌園正門

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写真330 第29代島津忠義が明治28年に建てた正門
■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市稲荷町の国道10号鳥越トンネルを竜ヶ水方向に潜り抜けて約400m進むと、島津家別邸の名勝仙巌園に着く。
 仙巌園は万治元年(1658)19代島津光久が別邸として構えたもので、その後、歴代の当主によって受け継がれた。21代島津吉貴は隠居後仙巌園に居住し、磯奉行を置いて園内の整備に努め、27代島津斉興の時には庭地拡張、28代島津斉彬は隣接地に集成館を築くなど、島津家の長い歴史の中でも重要な意味を持つ場所となっている。さらに、明治時代には29代島津忠義と30代島津忠重らが暮らしたこともある由緒ある庭園である。                             【仙巌園資料】
場所: 鹿児島市吉野町磯 北緯 31゚37′05″ 東経 130゚34′47″    
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写真331 正門には島津家の丸十紋と近衛家の桐紋が彫り込まれている
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by ishigaki2010 | 2011-11-04 17:56 | 石垣
2011年 11月 03日

№137 旧和泉屋町の石積み

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写真322 旧和泉屋町に残った石積み,5段,高さ1.55m  
■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市小川町のJR鹿児島駅から電車通りを天文館方向に約300m進み滑川交差点を右折して県道25号鹿児島蒲生線及び県道24号鹿児島東市来線の起点の5叉路交差点に着く。ここに旧町名和泉屋町の頃に造られたと思われる石積みが残っている。 
 和泉屋町は江戸時代から昭和42年までの鹿児島市内の町名。江戸時代の鹿児島城下上町の一つである。西は長田町、北は恵美須町、東は浜町、南は小川町に接していた。北の恵美須町から南へ「行屋通り」が町の中央を通っていた。「行屋通り」の地名は戦国時代、沖縄から帰来した真言宗の僧日秀が、ここで修行をしたことに由来すると云う。 寛永19年(1642)や元禄9年(1696)の大火の火元であったが、江戸時代を通じて賑わいのある町であった。また、明治34年の鹿児島国分間の鉄道開通後は鹿児島駅前商店街として賑わった。                           【現地案内文】   
場所: 鹿児島市・小川町 北緯 31゚36′01″ 東経130゚33′37″
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               写真323 石積みはL=19m 近くでは高層マンション建設中
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by ishigaki2010 | 2011-11-03 21:15 | 石垣
2011年 11月 02日

№132 鹿児島市立美術館

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写真309 敷地の角には明治40年建立の里程標
■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市城山町の国道10号照国神社前交差点から国道を磯方向に約300m行くと、西郷隆盛像の北東隣に鹿児島市立美術館がある。
 天保年間の鹿児島城下図を見ると現存する鶴丸城の堀付近から南東の照国神社に至る一帯は鶴丸城域であり、当美術館敷地も城域であったことが解る。なお、当敷地は明治25(1892)に鹿児島市役所、昭和14年には歴史館、その後戦災で焼失、昭和29年に美術館が建てられ、昭和59年に現在の美術館へと変遷を辿っている。里程標の正面には「距鹿児嶋縣廰貳丁貳拾九間」と刻まれている。【かごしまの町】
場所: 鹿児島市・城山町  北緯 31゚35′45″ 東経130゚33′15″
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写真310 この石塀の高さは約2m,昭和59年の改築時に上部をカットされた経緯がある
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by ishigaki2010 | 2011-11-02 13:22 | 石垣
2011年 10月 26日

№120 坊津・中坊

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写真277 中ノ坊から下浜に至る道路脇の石垣
■アクセスと歴史背景                 
南さつま市の坊津支所から国道226号を防泊に向けて約7.5km南下すると中ノ防に着く。中ノ坊から下浜の港に下る道路脇にこの石垣がある。
 防浦の港は中国や琉球との貿易拠点として繁栄した港で、「唐の港」「鶴の港」と呼ばれた。廃仏毀釈で一乗院が破壊された中坊の町は道路脇の石垣のみが昔を物語ってくれる。 【坊津町観光マップ】        場所: 南さつま市・坊津中坊 北緯 31゚16′05″ 東経 130゚13′48″ 
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写真278 石垣のみが昔の面影を僅かに残している
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by ishigaki2010 | 2011-10-26 09:01 | 石垣
2011年 10月 20日

№118 笠沙・谷山の段々畑

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写真272 山の中腹まて゛続いた段々畑
■アクセスと歴史背景                 
南さつま市大当から国道226号を高崎鼻方向に行く。番所を過ぎて大当から約3kmの大崩に着く。大崩から更に約600m程進むと道路の左・山手に「谷山の段々畑」が見える。
 谷山の段々畑は標高327mの「乗越の岡」の中腹まで続き、江戸の後半以降に石積みの畑が造られたと云われている。現地案内板によると、谷山の段々畑での耕作放棄は平成6年の頃のことで、それ以前は薩摩芋を中心に麦、菜種、キヌサヤ等が生産されており、昭和50年代から60年代にかけては、温暖な気候を利用したマーガレットや菊などの花卉栽培が盛んに行われていたと云う。その後、過疎の波が容赦なくこの地を襲い、今や段々畑の景観は消失する運命にある。            【現地案内文】
場所: 旧笠沙町・片浦 北緯 31゚25′46″ 東経 130゚09′21″ 
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写真273 耕作は放棄されても、残る段々畑の石垣 

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写真274 硬い安山岩質の石垣
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by ishigaki2010 | 2011-10-20 09:27 | 石垣
2011年 10月 16日

№114 錫山

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写真258 屋敷跡の杉山
■アクセスと歴史背景                 
県道20号の鹿児島加世田線を谷山ICから加世田に向けて約8km行くと錫山入口に着く。ここを左折して約400m進むと錫山バス停がある。ここら一帯が錫山集落である。
 錫山は藩政時代に薩摩藩直営の錫鉱山があり、山ヶ野、鹿籠の金山と共に三山と云われた。明暦元年(1655)年に島津家家臣八木元信が発見した山で、元禄14年(1701)に江戸幕府の許可を得て藩の直営鉱山となった。天保年間(1830)から戦後の昭和63年(1988)まで操業が続き、昭和54年(1979)に産出量は全国第2位の84.5トンを誇った実績がある。集落内には古い石積みが各所に残り往時を偲ばせてくれる。                                【鹿児島県の歴史散歩】
場所:鹿児島市・錫山 北緯 31゚29′35″ 東経 130゚27′33″
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写真259 杉山の古井戸跡
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 写真260 古い屋敷の石積み
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写真261 古い屋敷の雑石積み石垣 
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by ishigaki2010 | 2011-10-16 19:45 | 石垣