薩摩の石組み

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カテゴリ:石造構造物( 19 )


2011年 11月 06日

№149 JR肥薩線の会田川暗渠

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写真350 会田川暗渠
■アクセスと歴史背景                 
湧水町役場から県道55号栗野加治木線を横川方向に約3km行くと旧栗野町会田集落に着く。県道右手にある階段を降りると、JR肥薩線の会田川暗渠がある。
 JR肥薩線は旧鹿児島線として明治32年(1899)鹿児島から着工し、吉松までの区間約65kmは明治36年9月に開通した。この会田川は川内川の小支川で、暗渠は径間2.45m,内高3.7m,長さ29.35m,側壁は高さ2.5m,切石8~9段積み,上部は煉瓦4重巻のアーチ積み構造である。煉瓦の色は今も鮮やかで、築後100年余を経過しているとは到底思えない色合いである。使用煉瓦個数41,000個。【鹿児島県の近代化遺産】場所: 湧水町・会田 北緯 31゚56′09″ 東経 130゚42′15″
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              写真351 今も鮮やかな煉瓦積み
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写真352 重厚な切石積みの側壁 8~9段積み高さ 2.5m
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by ishigaki2010 | 2011-11-06 20:35 | 石造構造物
2011年 11月 05日

№147 出水・切通の突堤

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写真346 小さな船溜りのある切通突堤
■アクセスと歴史背景                 
出水市の肥薩おれんじ鉄道・米ノ津駅から国道3号を熊本県境に向かって約4km走ると前田三叉路に着く。ここから海岸沿いに市道を約600m進むと切通の突堤がある。
 突堤は海岸堤防から「への字」に突出し、堤防と突堤に囲まれた部分は小さな船溜りとなっている。築造時は定かではないが、近くに切通番所跡がある事などから、古き時代に造られた突堤と思われる。        場所: 出水市・前田 北緯 32゚09′29″ 東経 130゚21′38″
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写真347 突堤は延長約60m,高さ約3mの野面石積
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by ishigaki2010 | 2011-11-05 21:12 | 石造構造物
2011年 11月 04日

№139 武之橋石造変電所

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写真328 鹿児島市電・武之橋変電所
■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市加治屋町の市電高見馬場電停から鴨池方向に行くと3つ目の武之橋電停に着く。この電停の西側が鹿児島市交通局の敷地で、局舎や電車・バスの操車場、整備工場、変電所等がある。
 鹿児島市電は明治45年に武之橋を起点に工事着手、大正元年(1912)に当時の谷山村上福元まで延長6,419mの谷山線が完成して同年12月1日に我が国28番目の電車が走った。変電所は当初木造であったが大正6年に石造りとなった。約10m×16mの切妻、瓦葺きで重厚な建物である。なお、昭和34年には市電の営業延長はには19.4kmとなったが、現在は一部廃線して13.1kmとなっている。【鹿児島県の近代化遺産】
場所:鹿児島市・高麗町 北緯 31゚34′46″ 東経 130゚33′12″ 
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写真329 19段積み・軒高約5.7mの石造の変電所
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by ishigaki2010 | 2011-11-04 14:02 | 石造構造物
2011年 11月 01日

№131 川畑井堰

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写真306 宝暦の灌漑事業で築かれた川畑井堰 堰長18m 
■アクセスと歴史背景              
南さつま市本町の県道31号加世田川辺線の起点から、川辺方向に約1.6km行くと大谷川に架かる新渡瀬橋に着く。ここから大谷川を約400m遡った所に川畑井堰がある。
 川畑井堰は宝暦年間(1751~1763)に築造され、下流15haの水田が開かれた。昭和25年に堰付近の改修がなされたが、堰の切石は昔のままで粗い切り跡が残っている。なお、堰で人工的に水を「落とす」ことから、この大谷川右岸一帯に、「落」という地名がついている。  【鹿児島縣維新前土木史】          場所: 南さつま市・川畑  北緯 31゚24′40″ 東経130゚20′15″    
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写真307 高さ約3mの石積み堰
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               写真308 創建当時のものと思われる石組み
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by ishigaki2010 | 2011-11-01 23:13 | 石造構造物
2011年 10月 30日

旧鹿児島刑務所正門

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写真301 ヨーロッパの城門の風格が漂う
■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市平之町の国道3号平田橋交差点から国道を伊敷方向に約1.5km行くと、中草牟田交差点に着く。ここで左折して甲突川に架かる鶴尾橋を渡ると鹿児島アリーナに着く。ここに旧鹿児島刑務所の石造りの正門が残っている。
 旧鹿児島刑務所は鹿児島出身の山下啓次郎氏が設計したもので、中世ヨーロッパの城門を思わせるゴシック建築で重厚な雰囲気を漂わせている。石材は甲突川上流の肥田石を使用したと云われ、当時、囚人の労役を使い7年の歳月をかけて明治41年(1908)に完成した。なお、当刑務所は昭和61年(1986)に姶良郡吉松に移転されるまで78年もの間使用された。かつて、この門と高い塀に囲まれた内側は罪を犯した人々が償いの生活を強いられた場所である。             【鹿児島県の歴史散歩】                場所: 鹿児島市・永吉町 北緯 31゚36′06″ 東経130゚32′13″
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写真302 肥田石を使ったと云われる高さ約10mの石塔
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by ishigaki2010 | 2011-10-30 21:01 | 石造構造物
2011年 10月 29日

№127 寺山の炭窯跡

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写真297 炭窯は地上約3m,地下約1m,直径5~6m 
アクセスと歴史背景                 
鹿児島市吉野町上花棚から県道220号寺山公園線を約3.2km西に向かうと寺山集落の三叉路に着く。ここから更に約200m進むと寺山自然遊歩道の入口がある。入口から山中の遊歩道を約100m歩くと寺山炭窯跡がある。 
 この炭窯は第28代藩主島津斉彬が1850年代に設けた炭窯の跡である。斉彬は吉野町磯に反射炉や溶鉱炉を造り全国に先駆けて工業を興したが、その燃料として火力の強い白炭が大量に必要であったため、家臣山本籐助を紀州に派遣して製炭法を学ばせ、寺山に3基の大がまを設けて白炭の生産を行わせた。ここにその窯跡の一つが残っている。                       【現地案内文】
場所: 鹿児島市・寺山 北緯 31゚39′44″ 東経130゚36′03″
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写真298 残っている炭窯の石積みは 高さ地上約3m,9段積み
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by ishigaki2010 | 2011-10-29 10:08 | 石造構造物
2011年 10月 19日

№116 平山城跡

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写真264 川辺小学校グラウンドへの階段は62段■アクセスと歴史背景                 
南九州市川辺町市街地を通る県道27号谷山知覧線の山手側高台が平山城跡である。平山城跡は現在諏訪運動公園や川辺小学校敷地となっている。
 平山城は1100年頃、伊作平次郎良道の嫡男道房が河邊の領主となった時に築城したと伝えられている。城は本丸があつた本城、花見城、天神城、新城の四域があった。河邊氏が滅亡した後、島津伊久、久世の居城となった。応永24年(1417)島津犬太郎が平山城主の時、松尾城にいた部下の酒匂紀伊守が島津豊久と通じたことが原因で争いとなり平山、両添の地で激戦があった。この戦いは「河邊平山の役」として伝えられている。                            【川辺町郷土史】
場所: 南九州市・川辺町 北緯 31゚23′35″ 東経 130゚23′55″
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写真265 校庭のケヤキの大木目通し径は1.4m
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写真266 平山城への階段は幅5m,斜長26m
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by ishigaki2010 | 2011-10-19 20:57 | 石造構造物
2011年 10月 16日

№112 門之浦荷揚場

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写真254 藩政時代から明治期にかけて賑わった門之浦の港
■アクセスと歴史背景                 
南九州市頴娃町のJR指宿枕崎線頴娃大川駅から国道226号に出て更に海岸方向に進み、加治佐川を渡ると知覧町門之浦に着く。加治佐川の河口部には古い石積み護岸の荷揚場がある。
 知覧町郷土誌には次のような記述がある。「知覧には松ヶ浦、門之浦、東塩屋浦、西塩屋浦の4箇所の浦が在った。浦は在と呼ばれていた農村地区とは異なる行政区域で、漁業と海上交通の専門家集団である。海上交通は交易の機会が多く、在よりもはるかに商業化の可能性が強く、致富の機会も大きかった。門之浦の仲覚兵衛のごときは、その一例である。」             【知覧町郷土誌】
場所: 南九州市・門之浦 北緯 31゚15′12″ 東経 130゚24′36″
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写真255 往時が偲ばれる門之浦の荷揚げ護岸
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by ishigaki2010 | 2011-10-16 19:23 | 石造構造物
2011年 10月 16日

№110 宮ヶ浜防波堤

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写真247 宮ヶ浜港の防波堤
■アクセスと歴史背景                 
指宿市岩元の国道226号岩元隧道指宿側坑口を海岸側に下りて、海岸線沿いの臨港道路を南に約1.4km行くと宮ヶ浜港がある。
 「鹿児島縣維新前土木史」には次の記述がある。大字東方字宮ヶ濱 松尾城址の下に在り大守齊興公内庫金を出して築かしむ 天保5年(1834)7月成る亘長百四十米(七十七間)上幅十米(三十三尺)高五米(十六尺五寸)断面 図の如き大防波堤にして船舶の碇泊所たらしめたり 石材は硬質安山岩にして外側頂部のものは長九〇糎(三尺)方三十八糎(一尺二寸)の竿石を用ふ。此港も亦密貿易の行はれたる所にして大字十二町の人 幕末の豪商浜崎太平次の如きは調所家老庇護の下に此港を根拠地として日本全国主要港に支店を設け盛んに商業を営めり。           【鹿児島縣維新前土木史】
場所: 指宿市・宮ヶ浜  北緯 31゚16′53″  東経130゚37′06″      
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写真249 汐風に耐える灯籠石
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堅牢な階段護岸
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背後は宮ヶ浜港
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写真248 三尺×一尺二寸の天端石        
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by ishigaki2010 | 2011-10-16 12:00 | 石造構造物
2011年 10月 16日

№108 瀬崎突堤

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写真242 瀬崎突堤は石積み部延長約34m,頭部はコンクリート造■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市喜入町生見のJR指宿枕崎線「ぬくみ駅」から国道226号を指宿方向に約900m行くと指宿市瀬崎に着く。ここに国道脇から海に突き出た瀬崎突堤がある。
 この付近は薩摩半島有数の生見海水浴場として知られいる生見海岸で、海岸線は錦江湾に面して屈曲の少ない、なだらかな形状をしている。突堤の石積み部延長は約34m、その用途は浸食防止突堤、兼漁船繋留施設と推定される。築造は昭和26年との記録がある。     【魚見港港湾台帳】
場所: 指宿市・瀬崎 北緯 31゚18′13″ 東経130゚35′10″
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         写真243 天端幅2.8m
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写真244 突堤法勾配は1割
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by ishigaki2010 | 2011-10-16 08:52 | 石造構造物