薩摩の石組み

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カテゴリ:御仮屋跡( 14 )


2011年 11月 02日

№133 山崎郷地頭仮屋跡

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写真311 山崎郷地頭仮屋跡
■アクセスと歴史背景                 
さつま町屋地のさつま町役場から国道267号を約5km南に下ると山崎三文字に着く。ここから国道328号を更に南に約300m進むと山崎支所に着く。ここに山崎郷地頭仮屋跡がある。
 山崎郷は島津藩政時代は藩の直轄地で郷内の行政は地頭仮屋で行われていた。地頭仮屋は文政10年(1827)の再撰帳によると、一時山崎町の中宿場内にあったが、文化11年(1814)の頃また元の場所(現在地)に移されている。その後、ここは明治(1867)に入り、山崎戸長役場、山崎村役場、昭和28年(1953)に山崎町役場となり昭和30年に宮之城町と合併した。平成8年の埋蔵文化財発掘調査で、陶磁器、古銭等が出土。この一帯には中世頃に頃浄福寺かあったと云われており、多数の五輪塔が現存している。                                        【現地案内文】
場所:さつま町・山崎 北緯 31゚51′57″ 東経130゚25′51″ 
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 写真312 地頭仮屋跡の石垣 高さ1m,3段積み
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by ishigaki2010 | 2011-11-02 14:20 | 御仮屋跡
2011年 10月 26日

№122 山川・地頭仮屋跡

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写真282 市有形文化財指定の地頭仮屋跡石塀
■アクセスと歴史背景                 
指宿市山川・潮見町の旧山川町役場・現指宿市山川支所敷地が地頭仮屋跡である。 
 この旧山川町役場の庁舎を取り囲んでいる石塀は地頭仮屋時代のもので、地頭仮屋は江戸時代に山川郷の政治を司っていた役所で、曖・横目・組頭の三役が置かれていた。曖は郷士年寄とも呼ばれ、郷内全般の政務を司り、横目は諸務取次、検察訴訟に当たり、組頭は郷士の指導と仮屋の警備を行っていた。石塀は北側と南側は殆ど原型を留めていないが、東側と西側は大部分が残っている。明治初年に地頭職制が廃止されてから、この地は軍政所、学校と変遷を経て今日に至っている。 【現地案内文】
 場所: 山川・潮見町 北緯 31゚12′14″  東経 130゚38′22″ 
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写真283 東・北側の石塀
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   写真284 山川石の蛙像
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写真285 黄色みがかった山川石の石塀 高さ2.6m
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by ishigaki2010 | 2011-10-26 17:20 | 御仮屋跡
2011年 10月 16日

№109 今和泉島津家領主仮屋跡

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写真245 錦江湾に面した今和泉島津家別邸の石積み■アクセスと歴史背景                 
指宿市今和泉のJR指宿枕崎線「さつまいまいずみ駅」から国道226号を鹿児島方向にむけて約300m走り今泉小学校の裏手海岸側に着く。
 今和泉島津家の別邸、今和泉領主仮屋は今和泉島津家初代の島津忠郷が宝暦4年(1754)に建てたものである。今は今和泉小学校の校庭に当時の井戸跡と天璋院篤姫も使ったとされる手水鉢が残っている。すぐ裏手の海辺に積まれた素朴な石積みと松林が往時を偲ばせてくれる。【指宿観光協会資料】
場所: 指宿市・今和泉  北緯 31゚17′37″ 東経130゚35′48″
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写真246 高さ1mほどの素朴な石積みが往時を偲ばせている
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by ishigaki2010 | 2011-10-16 09:15 | 御仮屋跡
2011年 10月 15日

№106 喜入・肝属家仮屋跡

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写真238 肝付家仮屋跡 この石垣は明治32年校庭拡張時に築かれた模様 
■アクセスと歴史背景■ 鹿児島市喜入町の国道226号日石前から指宿方向に南下して、「道の駅喜入」の少々手前から八幡川左岸の旧道に入り喜入支所を右折して約200m行くと喜入小学校に着く。
 この喜入小学校敷地には承応2年(1653)から明治の初めまで領主肝付家の仮屋があった所で、校庭には楠、銀杏の大木が生い茂り、今にその歴史を伝えている。小学校前の通りはその昔「麓ん馬場」と呼ばれていた。                                【喜入町郷土誌】
場所: 鹿児島市・喜入町 北緯 31゚22′28″ 東経130゚32′29″
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写真239 肝属家仮屋跡の石垣 高さ3.1m,10段積み
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by ishigaki2010 | 2011-10-15 22:42 | 御仮屋跡
2011年 10月 15日

№105 谷山地頭館跡

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写真236 僅かに残った地頭館跡の石垣 ■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市谷山中央のJR指宿枕崎線谷山駅前交差点から国道225号を南に約600m行き,谷山支所前交差点を右折して約100mで鹿児島市役所谷山支所に着く。この支所の前に谷山地頭館跡がある。
 薩摩藩は、鹿児島城下のほか113の外城区域にわかれ、そのうち直轄の外城には地頭館が設けられていた。地頭館の周辺は麓という武家集落で軍事、行政を管轄していた。谷山にはこの付近に地頭館が置かれ、周囲に郷士が住んだ。地頭館は石垣に囲まれ、本門のある正面側は棟石のある石造りとなり、高さ12m,長さ113.5mにも及んだ。境内には杉、楠、柞、孟宗竹等があって森山といわれた。この前の通りを仮屋馬場と呼んだ。その後、地頭館は子弟を教育する稽古所さらに立志館と変わり、明治5年(1872)には第15郷校となり、明治9年に谷山小学校となった。                【現地説明文】
場所: 鹿児島市・谷山中央 北緯 31゚31′18″ 東経130゚31′03″
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写真237 阿多石で積まれた石積みが僅かに地頭館の名残を留めている
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by ishigaki2010 | 2011-10-15 22:00 | 御仮屋跡
2011年 10月 10日

№102 阿多御仮屋跡

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写真229 阿多御仮屋跡近くの武家屋敷 ■アクセスと歴史背景                 
南さつま市阿多の国道270号と県道20号鹿児島加世田線及び県道297号阿多川辺線の交差点から県道297を川辺方向に約400m進むと阿多麓の地頭仮屋跡に着く。
 地頭仮屋跡は現阿多准看護学院となつている。藩政時代には藩から地頭が任命され、御仮屋で行政がでり行われたが、阿多には地頭は常駐せず郷の三役が代行したと云われている。   
場所: 南さつま市金峰町・阿多 北緯 31゚25′57″ 東経130゚20′14″
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写真230 布積み5段 高さ1.6m
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by ishigaki2010 | 2011-10-10 22:22 | 御仮屋跡
2011年 10月 08日

№101 小松家御仮屋跡

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写真227 小松家御仮屋跡・現吉利小学校■アクセスと歴史背景                 
 日置市吉利の国道270号の吉利交差点を北方向の吉利集落の中心部に向けて約400m行き郵便局前を右折し更に約300m進むと吉利小学校に着く。ここが小松家御仮屋跡である。
 小松帯刀は天保6年(1835)喜入領主肝付兼善の三男・尚五郎として生まれ、後に吉利領主であった小松家の養子となり小松帯刀清兼と改名した。吉利領主となった帯刀は領地に足を運び領民の労苦を労うことに努めたので小松家の名君と呼ばれた。近くに小松家の菩提寺清浄寺がある。 【清浄寺案内文】
場所:  日置市・吉利 北緯 31゚34′22″ 東経130゚20′41″
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写真228 歴史を感じる校門脇の古い石積み 5段積み,高さ1.25m
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by ishigaki2010 | 2011-10-08 17:52 | 御仮屋跡
2011年 10月 06日

№95 市来・御仮屋跡

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 写真213 御仮屋跡はいちき串木野市・市来支所
■アクセスと歴史背景                 
いちき串木野市から国道3号を鹿児島方向に八房川の八房橋を渡って約300m進むと旧市来町役場に着く。ここが市来御仮屋跡である。
 多田紀伊介頼益、新納常陸介忠苗、新納伊勢守康久等は地頭として市来城、別称鶴丸城に居たことははっきりしているが、その後、地頭仮屋は湊村に置かれ旧市来町役場所在地にあったが、それが何時からだったかは不詳だと云う。なお、慶長18年(1613)には湊に御仮屋があり、当時の御仮屋はその規模頗る広大で、建物も実に立派であったと云う。市来郷は掛持地頭であったので、御仮屋は地頭の居館ではなく、市来郷行政の役所であった。                     【市来町郷土誌】
場所:  いちき串木野市市来町・湊町 北緯 31゚41′41″  東経 130゚17′21″ 
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写真214 いかにも古い御仮屋跡の石積み 高さ1.25m
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by ishigaki2010 | 2011-10-06 14:37 | 御仮屋跡
2011年 10月 01日

№93 串木野・地頭仮屋跡

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写真208 手前右は長谷場純孝生誕の地 
■アクセスと歴史背景                 
いちき串木野市大原町の国道3号と県道39号串木野樋脇線の大原交差点を針原方向に約1.4km行くと2級河川五反田川左岸麓の地頭仮屋跡に着く。長谷場純孝生誕の地が手前にある。
 島津重豪は安永2年(1773)鹿児島城下に造士館と演武館を創設した。串木野でも間もなく当地頭仮屋敷地に手習い学問所と剣術稽古場を創設した。明治2年最後の地頭坂木六郎は、ここに達徳館を設け新時代の教育の基礎を築いた。その後鹿児島県第34郷校となり串木野小学校へと変遷した。【現地案内文】     場所: いちき串木野市・麓  北緯 31゚43′28″ 東経 130゚17′07″
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 写真209 地頭仮屋跡の石垣 高さ5m
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写真210 現在の石垣は明治30年前後に築造された
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by ishigaki2010 | 2011-10-01 19:23 | 御仮屋跡
2011年 09月 05日

№82 出水假屋門

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写真184 出水小学校校門となった御仮屋門  
■アクセスと歴史背景                 
出水市本町の県道374号出水高尾線の起点から市道を約300m南に下ると、麓町の出水小前交差点に着く。ここを左折して約300m行くと出水假屋門が在る。現在は出水小学校の校門となっている。
 島津義弘はこの武家門を、居城していた帖佐から出水に移し、出水へ隠居して薩摩北辺の守りに任じたいと思っていたが義弘の移住は実現しなかった。しかしながら、以後この地に御假屋が置かれ、出水假屋門として今に残っている。                【出水市教育委員会・現地案内文】
場所: 出水市・麓町 北緯 32゚04′30″ 東経130゚21′34″ 
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写真185 御仮屋馬場に面した石垣が往時の面影を色濃く残している
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by ishigaki2010 | 2011-09-05 23:29 | 御仮屋跡