薩摩の石組み

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カテゴリ:民家の石垣( 15 )


2011年 11月 05日

№145 武の西郷屋敷跡

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写真341 西郷屋敷跡の碑
■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市JR鹿児島中央駅西口から西方向の常磐トンネルに向かって約500m行き、トンネルの手前を左折して、約150m行くと左側に西郷公園がある。ここが武の西郷屋敷跡である。
 ここは、西郷隆盛が明治2年(1869)に三崎平太左衛門から譲り受け、上之園の借家から引越して来て、明治6年(1873)の西郷下野後、西南の役まで過ごした屋敷跡である。公園内には当時の井戸跡、跡地の碑、西郷隆盛と菅実秀の対座の像がある。                【鹿児島県の歴史散歩】   
 場所: 鹿児島市・武 北緯 31゚35′01″ 東経 130゚32′12″
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写真342 菅実秀対座の像
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写真343 石材は当時のものと思われる 高さ0.7m,3段の石積み
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by ishigaki2010 | 2011-11-05 13:19 | 民家の石垣
2011年 11月 04日

№138 帖佐十日町の石積み

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写真324 十日町に残った石積み L=16m
■アクセスと歴史背景                 
姶良町宮島町の国道10号バイパス姶良町役場交差点から加治木方向に約900m行くと十日町バス停がある。その次の交差点の左角屋敷に古い石垣が残っている。
 この付近は日向街道、高岡筋にあたる。鹿児島市吉野台地から白銀坂を下って重富に出て、青木水流、並木、宮島、十日町、加治木、隼人、敷根、福山を経て、宮崎に至る街道が日向街道・高岡筋である。十日町は帖佐と加治木の間にあって、この屋敷は高樋に通じる古道の分岐点に位置し、街道筋では賑わった場所であつたと推測される。                                               
場所: 姶良市十日町 北緯 31゚43′58″ 東経130゚38′10″                         
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写真325 隅石は106×30cm
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写真326 扶壁の間隔は約4m
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写真327 4段積み 高さ1.2m








 
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by ishigaki2010 | 2011-11-04 13:50 | 民家の石垣
2011年 10月 28日

№126 浜之市の石垣

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写真292 高さ4mの加治木石の石壁
アクセスと歴史背景                 
霧島市隼人町浜之市の国道10号と県道473号崎森隼人線の隼人港交差点から加治木町方向に約60m進むと国道の右側にこの石壁がある。
 この石壁は民家の境界に築かれているが、民家の軒下まで高さが約4mもある。劣化の状況から恐らく築後100年以上は経過しているものと思われる。通常の石垣1.5mに継ぎ足した形となっているが、目的は定かでない。石壁は加治木石で積まれているが、劣化した部分の表面に軽石や礫が露出しており、加治木石の成因が溶結凝灰岩であることが、はっきりと解る状態となっている。              場所: 霧島市・隼人町浜之市 北緯 31゚43′34″ 東経 130゚43′51″     
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写真293 露出した軽石 35×45mm
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 写真294 浮き出た礫 65×35mm
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写真295 劣化して黄色に変色
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写真296 劣化が進んでいない石
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by ishigaki2010 | 2011-10-28 20:10 | 民家の石垣
2011年 10月 26日

№123 山川石の屋敷

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写真286 山川潮見町の山川石のお屋敷
■アクセスと歴史背景                 
指宿市山川・潮見町の山川支所の斜め角前に山川石の石垣で囲まれた立派なお屋敷がある。
 このお屋敷の石垣は黄色みを帯び、華やかな色合いの山川石が使われている。山川石は薩摩半島山川湾南部一帯に分布する岩石で、山川火砕流に属している。墓石や灯籠などに利用されており、風化した軽石を多く含んでいる凝灰岩である。鹿児島市の島津家の菩提寺福昌寺にある島津斉彬をはじめとする藩主の墓石にも使われている。
場所:  指宿市・山川潮見町 北緯 31゚12′13″ 東経 130゚38′20″ 
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                 写真287 黄色みを帯びた華やかな山川石
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by ishigaki2010 | 2011-10-26 21:04 | 民家の石垣
2011年 10月 19日

№117 石垣群の里・大当(おおと) 

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写真267「石垣群の里」の石碑が建つ三叉路  
■アクセスと歴史背景                 
南さつま市笠沙支所前の国道226号を片浦方向に約4.2km行くと「石垣群の里 大当」の石碑が建っている三叉路に着く。ここの三叉路を左に約300m進んだ所が大当集落の入口である。
 大当集落は80棟余の家屋が軒を寄せ合う集落で、集落全体が石積みで包まれている。標高20~50mの高台にある集落からは東シナ海の絶景が眼下に見える。集落内の石畳道路の総延長は約1300m、石積みは野面積みで、石の採取地は野間岳。                       【現地案内図】
場所: 旧笠沙町・大当 北緯 31゚25′11″  東経 130゚10′10″ 
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写真268 集落内道路の延長は約1300m
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写真270 80余棟が軒を寄せ合う大当集落
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写真271 東シナ海に突き出た番所鼻を展望
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写真269 雑石空積み石垣       
 

 
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by ishigaki2010 | 2011-10-19 21:29 | 民家の石垣
2011年 08月 23日

№75 大崎・馬場の軽石垣

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写真169 軽石で覆った土塁石垣 高さ1.3m
■アクセスと歴史背景                 
大崎町役場から県道64号大崎輝北線を輝北町方向に約300m進むと馬場集落に入る。集落の西側に、軽石で築いた石垣の屋敷が在る。
 軽石塊は姶良カルデラからの火砕流堆積物である入戸火砕流に含まれており、軽石の大きさは通常数十センチメートル程度で、比重は文字どおり小さく容易に加工される石材である。ここでは土塁の外側に軽石塊を積んで石垣としている。シラス台地ならではの石組みである。                  場所: 大崎町・仮宿 北緯 31゚25′54″ 東経 131゚00′08″ 
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写真170 鹿児島のシラス文化から生まれた軽石塊で築いた石垣
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by ishigaki2010 | 2011-08-23 20:55 | 民家の石垣
2011年 07月 10日

№58 横川・山ヶ野金山

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写真128 山ヶ野金山・恵比須堂
■アクセスと歴史背景                 
さつま町胡麻目から県道50号牧園薩摩線を横川方向に約3.8km進むと道路左に山ヶ野の入口となる茶屋集落に着く。ここから山ヶ野集落までは北西方向に約1km。
 旧横川町の山ヶ野金山(別名永野金山)は、地表に金が凝集していたと云われ、明暦2年(1656)年に幕府が採掘を許可し金の産出が始まった。当時は1万2千人の人口を擁し、明治40年には永野に電力による精錬所ができるまで活気を呈したと云う。集落内には火入れ坑、谷頭精錬所、妙雲山遠沾寺、禅宗久昌寺、金山奉行所、御仮屋、来辺山護念寺、薬師堂、田町遊郭、刑所、金山口屋(関所)、青化精錬所等の跡地が数多くあり、当時のゴールドラッシュにわく山ヶ野を物語ってくれる。【山ヶ野区会・案内文】
場所:  霧島市・横川町山ヶ野 北緯 31゚38′22″  東経130゚54′15″       
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写真131 各所に点在する自稼堀坑跡
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写真129 山先役宅跡の石蔵と屋根付き門
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写真130 集落内の古い石垣
 
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by ishigaki2010 | 2011-07-10 22:39 | 民家の石垣
2011年 03月 27日

№26 田之浦の扶壁式石垣

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扶璧は5段積み、設置間隔は3m 。
 鹿児島市祇園之洲町の国道10号鹿児島北バイパス予定道路から祇園之洲橋を渡り琉球人松の方向に右折するとカフェ潮音館に着く。ここの駐車場と隣接道路との境が扶璧式石垣となっている。
 石垣の築造時期は不詳であるが、同工法の石積みが磯・仙巌園、大竜町・今和泉邸跡、帖佐十日町等でも見られることから明治期以前の築造と推定される。石垣の延長約30m,高さ1.8mの6段積み,扶璧は5段積みで,設置間隔は約3mである。        
場所:  鹿児島市・清水町 北緯 31゚36′26″ 東経130゚34′21″
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 扶壁は1段毎に石垣前面まで貫入し、前面石垣と連結されている    
   
 
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by ishigaki2010 | 2011-03-27 15:41 | 民家の石垣
2011年 03月 21日

№24 田之浦・重富島津家の石垣

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重富荘の庭園から桜島を望む 
市道磯・田の浦線の琉球人松碑から祇園之洲方向に約300m行くと旧重富島津邸・重富荘がある。
 ここは島津久光の三男、重富島津家第21代当主、島津珍彦氏が住んだ屋敷跡。現在の建物の一部は、島津家第29代藩主島津忠義(島津久光の長男)が晩年内之浦に建てた狩猟用の別荘を移築したもので、邸内には随所に島津家ゆかりの品々が残されている。敷地約3万坪の和風庭園は田之浦御茶屋の庭を利用したもので、熱帯樹を配した美しい庭園から望む桜島は格別の趣を持っている。【鹿児島市観光課案内文】
場所: 鹿児島市・清水町 北緯 31゚36′27″ 東経130゚34′23″
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 磯街道に面した布積み石垣
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by ishigaki2010 | 2011-03-21 19:52 | 民家の石垣
2011年 03月 20日

№23 琉球人松付近の石垣

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往年の磯街道が偲ばれる目印松
鹿児島市吉野町の市道磯・田の浦線を磯仙巌園前から祇園之洲方向に約900m行くと琉球人松碑が磯街道の海岸側路肩に建っている。
 かつて、ここの岩場に松の大木があり、琉球船が鹿児島の港に入る際、目印にしたことから「琉球船の目印松」と云われている。戦後、松食い虫により枯死したので姫松が植えられた。また、昭和48年(1973)沖縄の日本復帰1周年を記念して沖縄那覇市から琉球松が贈られて植樹された。【鹿児島県の歴史散歩】
場所: 鹿児島市・吉野町 北緯 31゚36′35″ 東経130゚34′29″
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往年の磯街道が偲ばれる目印松  琉球人松碑付近の磯街道沿いの古い石垣













                 
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by ishigaki2010 | 2011-03-20 21:55 | 民家の石垣