薩摩の石組み

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2010年 10月 18日

№4 白金酒造の石蔵

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姶良町脇元のJR重富駅前から鹿児島方向に約200mの旧国道10号沿いにこの石蔵が建っている。
この石蔵では銘柄名「白金乃露」の焼酎が製造されている。製造元の白金酒造は明治2年(1869)創業の老舗である。石蔵は間口11.5m、奥行き約30m、切妻造りの2階建で現在も甕仕込み醸造工場として稼働中である。平成13年に登録有形文化財となっている。   【鹿児島県の歴史散歩】
場所 : 姶良市脇元 東経130度36分49秒,北緯31度42分03秒
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石蔵は切り妻造り、2階建て、間口11.5m奥行き30mで現役稼働中。
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by ishigaki2010 | 2010-10-18 20:01 | 石造倉庫
2010年 10月 14日

№3白銀坂

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吉野台地を経て鹿児島城下に至る白銀坂登り口。

姶良町脇元の国道10号と県道57号麓重富停車場線の交差点を竜ヶ水方向に約200m行くと鹿児島市吉野台地に至る薩摩街道「白銀坂」の登り口がある。
 この白銀坂は明治6年(1873)に磯・重富間の道路・現国道10号ができるまで、薩摩藩の主要街道であった。石畳の坂道は白銀山中を標高430mの吉野町宮之浦まで約3km程続く。坂の途中からは姶良、加治木、隼人の錦江湾湾奧部が一望される絶景が広がる。また、すぐ西側の谷には吉野台地の地下水が流れ出る高さ約20mの「布引の滝」や枦山池があり遊歩道も整備されている。 【鹿児島県の歴史散歩】
場所:東経130度36分39秒,北緯31度42分08秒。
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木漏れ日が差す石畳の大口筋白銀坂は文化庁の『歴史の道百選』にも選ばれている。
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by ishigaki2010 | 2010-10-14 11:50 | 石の街道
2010年 10月 10日

№2平松城址

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背後に山城・岩剣城跡がある
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姶良町脇元の国道10号から県道57号麓重富停車場線を吉田町麓に向かって約800m進み、ここを左折すると平松城跡に着く。
 平松城の築城時期は不詳だが、島津義弘は慶長11年(1606)帖佐から、ここ平松に移り加治木に移るまでの居城とした。その後、義弘夫人や義弘の娘御屋地様が住んだ。時代は移り元文2年(1737)には重富郷が創設され、平松城は越前島津家の領主の舘となった。明治維新後はこの地に重富村役所や平松小学校が置かれたが、現在は重富小学校となっている。城跡は周囲約650mを高さ約2m(正面)の野面石積みで囲まれ、北側正面には幅11m、長さ約280mの「館の馬場」が現存している。また近くには岩剣城跡、岩剣神社、円明院跡、狭霧神社、愛宕神社、越前島津家菩提寺紹隆寺跡等の史蹟がある。【姶良町郷土誌】
場所:東経130度36分16秒,北緯31度42分22秒。
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by ishigaki2010 | 2010-10-10 14:15 | 城の石垣
2010年 10月 10日

№1宇都御屋地跡

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中央の鏡石は義弘公の羽織掛石と云われ、蒲生地頭阿多長寿院盛惇が運んだ御加勢石。石質は輝石安山岩。
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姶良町鍋倉の県道42号川内加治木線沿いの帖佐小学校西側の町道を約300m北へ進むと石垣で囲まれた帖佐稲荷神社がある。ここは島津義弘が文禄4年(1595)に造営した宇都御屋地跡である。
 宇都御屋地の屋敷は広さ百間四方、石垣九十九間の規模であったと云う。島津義弘は慶長11年(1606)重富平松に移るまで当所を居城とした。館の造営は蒲生地頭 阿多長寿院盛淳がその任に当たり、家老新納旅庵が工事を監督して完成させた。なお、使用石材はここから東南方向約2kmの湯湾岳から搬入したと云われている。湯湾岳の岩質は輝石安山岩。                 【姶良町郷土誌】
場所:東経130度37分40秒北緯31度44分44秒
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by ishigaki2010 | 2010-10-10 10:15 | 御仮屋跡