薩摩の石組み

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2011年 01月 24日

№19 磯川の護岸 いそがわのごがん

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尚古集成館の西側を流れる磯川
鹿児島市吉野町の島津氏磯別邸の庭園、仙巌園の西隣り尚古集成館と磯工芸館の間を磯川が流れている。磯川の源は吉野町中別府にあり、河口を磯海水浴場の突堤脇に持つ流路延長約3kmの小河川である。河口部のJR日豊本線の橋梁は、長さ9.14mの石造アーチ橋であ、明治34年(1901)に築造されて以来、凡そ100年もの間、石造りの鉄道橋として供用されてきたが、平成5年の豪雨で被災し今はコンクリートCB橋となっている。                          【JR鹿児島支社資料】場所:東経130度34分32秒、北緯31度37分05秒e0206650_20344678.jpg

クスノキを巻き込んだ護岸
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笠石が付いた護岸は高さ約3メートル
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by ishigaki2010 | 2011-01-24 20:41 | 石造構造物
2011年 01月 20日

№18 石造りの濾過池

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明治40年に造られた石造の濾過池上屋
鹿児島市街地から鹿児島市吉野町の国道10号鳥越トンネルを抜けて約400m進むと、島津氏磯別邸の庭園、仙巌園に着く。園内に飲料用水浄化に用いた石造りの濾過池がある。
 この濾過池は明治40年10月に大正天皇(当時皇太子)御来鹿の折り、園内の飲料水浄化の為に造られた。その水源は稲荷川上流のあべ木川に求め、江戸時代から石管で導水していたとのこと。この石造りの建物は明治40年(1907)7月13日に着工され同年9月13日に竣工している。建物は貴重な石造建築と認定され、平成13年に登録文化財に指定された。                    【仙巌園案内文】
場所:東経130度34分49秒北緯31度37分10秒
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濾過池を被う建物は壁も屋根も全て石造り
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by ishigaki2010 | 2011-01-20 10:11 | 石造構造物
2011年 01月 14日

№17 仙巌園の扶壁式石垣

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曲水の庭へ通ずる通路左側は扶壁式石垣
鹿児島市街地から鹿児島市吉野町の国道10号鳥越トンネルを抜けて約400m進むと、島津氏磯別邸の庭園、仙巌園に着く。ここに石垣の背面に控え璧を設けた扶璧式石垣がある。
 曲水の庭に通じる階段の西側は高さ約2.5mの石垣となっている。この石垣には控え壁が付いている。控え壁は27cm×27cm×65cmの長方形の石材が7段積みで高さ1.95m、設置間隔は約2.5m、一段置きに貫構造で前面壁と結合し一体化が図られている。
場所:鹿児島市吉野町磯 東経130度34分51秒 北緯31度37分08秒
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コンクリート構造ではよくある扶壁式擁壁の石造り版である(通路裏側から写す)
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by ishigaki2010 | 2011-01-14 20:32 | 民家の石垣
2011年 01月 12日

№16 発電所の貯水槽跡

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仙巌園に残っていた発電所遺構
鹿児島市街地から鹿児島市吉野町の国道10号鳥越トンネルを抜けて約400m進むと、島津氏磯別邸の庭園、仙巌園に着く。発電所貯水槽の遺構は仙巌園の奥まった所にある。 
 第29代島津忠義は磯臨海地区に就成所を造り近代産業を興した。仙巌園の中に残る発電所貯水槽跡の石組みは往時の発電所の遺構である。明治25年(1829)、鹿児島市内で点灯される5年前、ここで水車を回転させて発電し、邸内のアーク灯を灯した。           【仙巌園案内文】場所:鹿児島市吉田町麓 東経130度34分54秒 北緯31度37分08秒          
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仙巌園に残っていた水力発電所の石造貯水槽
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by ishigaki2010 | 2011-01-12 21:29 | 石造構造物
2011年 01月 07日

№15 薩摩藩が造った反射炉

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仙巌園内に残る反射炉跡
鹿児島市街地から鹿児島市吉野町の国道10号鳥越トンネルを抜けて約400m進むと、島津氏磯別邸の庭園、仙巌園に着く。反射炉跡は仙巌園入口のすぐ左側にある。
 安政4年(1857)、第28代薩摩藩主島津斉彬が佐賀藩に次いで反射炉を完成させた。この反射炉で鉄を大量に生産し、大砲鋳造を始め様々な武器も製作した。現在の石組みは炉床部分が残っているが、往時はこの上に耐火煉瓦の炉が築かれていたと云う。薩英戦争時には天保山、大門口、祇園之洲、沖小島等に砲台が設置され英国艦隊のアームストロング砲と対戦した歴史が残っている。   【仙巌園案内文】場所:鹿児島市吉野町磯、東経130度34分38秒、北緯31度37分05秒。
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佐賀藩に次いで島津斉彬が造った反射炉の炉床部
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by ishigaki2010 | 2011-01-07 15:52 | 石造構造物