薩摩の石組み

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2011年 04月 30日

№35 上町の屋敷跡 かんまち

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 竪馬場交差点の屋敷跡 
鹿児島市大竜町の県道25号鹿児島蒲生線の竪馬場交差点に13階の大型ビル(写真74)が建っている。この付近一帯が鹿児島市上町の屋敷跡が在った所である。
 島津氏が清水城を居城とする頃から上町,現在の上本町~春日町は家臣の屋敷や民家が建ち並び城下町を形成していたと云う。天保年間の城下絵図によると、竪馬場交差点には「川上九馬殿」その向かい側には「島津主水殿」の文字が記されていることから、ここらあたりが上町の家臣屋敷群があった所と思われる。現在はマンション,銀行、スーパーマーケット、病院等が混在する街となっている。屋敷の古い石垣は積み直されているが、島津家家臣の屋敷跡の名残を見ることができる。
 場所: 鹿児島市・大竜町 北緯 31゚36′15″  東径 130゚33′39″
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鹿児島の城下町発祥の地、上町に残る島津家家臣の屋敷跡石垣
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写真76 鹿児島港北埠頭に残る一丁台場・別名沖の岸岐
 
№36 鹿児島本港北埠頭・一丁台場
■アクセスと歴史背景                
 鹿児島市山下町の国道10号と国道58号の交差点から海岸方向に約900m行くと鹿児島本港区中央緑地に突き当たる。ここから「さくら橋」を渡ると北埠頭に着く。
 この北埠頭の西側護岸には明治5年(1872)に築造した歴史遺構「一丁台場・別名沖の岸岐」が再構築されている。桜島の雄大な眺めを背景に薩摩の歴史を物語ってくれる。
 慶長7年(1602)第18代島津家久が鶴丸城を築き、ここに居を構えてから城下町が形成され、それに加えて鹿児島港の荷揚場、防波堤等が築造された。安永9年(1780)に屋久島岸岐、弁天波止が築造され、天保12年(1841)に三五郎波止、 弘化3年(1846)に新波止 、明治5年(1872)に一丁台場が築造された。現在は昭和57年(1982)改定の鹿児島港港湾計画に基づき整備が進められている。  【鹿児島港の歴史変遷】場所:  鹿児島市・本港新町 北緯 31゚35′40″ 東経130゚33′49″
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写真77 130余年を経過した石材は風化の兆候も無く堅牢 


                                           

                                                                        
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by ishigaki2010 | 2011-04-30 17:19 | 武家屋敷
2011年 04月 30日

№34 般若院参道跡の石積み はんにゃいんさんどうあと

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南州墓地の参道石段 
鹿児島市大竜町の県道25号鹿児島蒲生線南州神社入口交差点から100m程行くと南州墓地参道に着く。ここから般若院小路を150m程南に歩くと、マンションの裏に武者返しの古い石垣がある。ここが般若院跡である。ここは南州墓地の南斜面にあたり、現在は個人の屋敷となっている。
 ここの石垣は高さ約4m、長さ50m程であるが、中程に斜めの目地が2箇所はいっている。この目地で囲まれた部分は石組みが明らかに異なっている。この部分は、かつて般若院の参道で明治初期の廃仏毀釈によって般若院が廃寺となった際に参道部分を石積みで塞いだものと思われる。 
場所: 鹿児島市・下竜尾町 北緯 31゚36′17″ 東経130゚33′32″
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塞がれた般若院の参道、斜めの目地がその痕跡
 

















 
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by ishigaki2010 | 2011-04-30 14:24 | 神社仏閣
2011年 04月 29日

№33 春日神社

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昔は春日神社の近くまで海岸線が迫っていた             
鹿児島市稲荷町から国道10号を中心市街地方向に向かい、稲荷川の戸柱橋を渡って約200m程進むと春日町三叉路に着く。この交差点の右側に春日神社がある。
 春日神社は東福寺城を築いた長谷場氏が奈良の春日神社を勧請したもので、当時、近くに船着き場があったと云う。境内には薩摩水軍軍港跡の碑があり、目通り1.5mの御神木がその歴史を物語ってくれる。  【鹿児島県の歴史散歩】 場所: 鹿児島市・春日町 北緯 31゚36′21″ 東経130゚33′58″
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 境内には薩藩水軍軍港跡の碑がある
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by ishigaki2010 | 2011-04-29 17:44 | 神社仏閣
2011年 04月 29日

№32 春日町・重富島津家屋敷跡 しげとみしまづけ

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春日町の重富島津家の屋敷跡
国道10号を鹿児島市清水町から春日町方向に向かい春日町交差点で市道大竜2号線・南洲門前通りに入ると直ぐ右側が旧重富島津家屋敷跡である。
 ここ上町一帯は春日町遺跡、若宮神社遺跡、大竜小学校遺跡、南洲神社遺跡など各地に縄文中期頃からの古い生活痕がある所である。14世紀に島津氏が清水城、内城を築城する頃には城下町が形成されており、鹿児島市発祥の地は上町と云われている。      【鹿児島市歴史アメニティ回廊案内文】
場所: 鹿児島市・春日町  北緯 31゚36′21″ 東経130゚33′51″
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 堅固な石垣の高さは3~4m
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by ishigaki2010 | 2011-04-29 10:49 | 武家屋敷
2011年 04月 28日

№31 今和泉邸跡 いまいずみてい

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天璋院篤姫の生家・今和泉家屋敷跡
県道25号鹿児島蒲生線の鹿児島市上本町の交差点を玉龍高校方向に約300m行くと南州神社入口交差点に着く。ここを右折して約150m行くと大龍小学校寺西隣に旧今和泉邸がある。
 ここ上町は16代島津家当主島津貴久が天文19年(1550)築いた内城があった所で、多くの島津家家臣が居住した地区である。今和泉家は徳川幕府第13代将軍徳川家定の御台所天璋院篤姫の生家で、安政6年(1859)頃の「旧薩藩御城下絵図」によると屋敷の敷地面積は約4千6百坪であったと云う。現在、その跡地は当時の石垣のみがその名残をとどめている。             【H19.1.27南日本新聞記事】
場所: 鹿児島市・大竜町  北緯 31゚36′20″ 東経130゚33′43″
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 江戸末期のものと云われている堅牢な石垣は高さ2.5m
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by ishigaki2010 | 2011-04-28 21:22 | 武家屋敷
2011年 04月 22日

№30 大龍寺跡

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大龍寺跡・現大龍小学校
国道10号を鹿児島市山下町から長田町方向に向かい長田陸橋を越えると上本町交差点がある。この交差点を左折し県道25号鹿児島蒲生線を約300m行くと南州神社入口交差点に着く。ここを右折して約200m程進むと大龍寺跡がある。
 ここは16代島津家当主島津貴久が天文19年(1550)築いた内城跡である。大龍寺は内城を居城とした貴久の号「大中」と島津義久の号「龍伯」をとってものと云われており、我が国近世朱子学の開祖桂庵玄樹の弟子文之が慶長16年(1611)に開山した。現在、ここは鹿児島市立大龍小学校の敷地となっている。 【鹿児島県の歴史散歩】
場所: 鹿児島市・大竜町 北緯 31゚36′20″ 東経130゚33′46″
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歴史を刻む大龍寺跡の石垣




 
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by ishigaki2010 | 2011-04-22 17:26 | 神社仏閣
2011年 04月 17日

№28 東福寺城跡

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大正12年に建てられた東福寺城跡の碑
鹿児島市清水町の祇園之洲西口交差点から祇園之洲公園に向い約200m程行き、そこから坂を登り詰めると多賀山公園に着く。この丘陵部一帯が東福寺城跡である。
 東福寺城の東・南は錦江湾が広がり、西は稲荷川が流れ鹿児島の上町一帯が展望できる。標高は約100mで、天然の急峻な山城である。この城は鹿児島郡司矢上氏の一族、長谷場永純が天喜元年(1053)に築いたもので、南北朝時代(1336~1392)の1343年に出水の山門院から鹿児島入りした島津家5代島津貞久が暦応4年(1341)激戦の末、東福寺城を攻め落として鹿児島を治める初めての根拠地とした。その後、8代島津元久の時代に、現在の清水中学校敷地とその裏山の清水城に移った。      【現地案内文】
場所: 鹿児島市・清水町 北緯 31゚36′29″  東経130゚34′15″
 
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 東福寺城は11世紀に日向、大隅、薩摩で初めて築かれた山城
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by ishigaki2010 | 2011-04-17 15:15 | 城の石垣