薩摩の石組み

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2011年 07月 21日

№63 山ン口の坂

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写真142 石塁の坂道■アクセスと歴史背景                 
さつま町役場から県道396号薩摩祁答院線を求名に向かって走り、国道267号との交差点を通り抜け旧求名小に着く。ここから右折して約700m行くと道路左側の「山ン口の坂」入口に着く。
 山ン口の坂が開設されたのは求名小学校の前身「手習所」が明治3年(1870)に開所されていることから、今から150年以前と云われている。坂は急勾配、曲がりくねり、雨の日は水が勢いよく流れ、足元を濡らし、履きものに赤土が付いていたので、人々はその様子から、求名の住人であることがすぐ解ったと云う。この険しい山道を通学路、生活道路として使った人々の熱い思いが保存活動となり、橋掛、下狩宿、上狩宿の120名の人々の賛同も得て、竹木の伐採、自然石の凹地への搬入などの奉仕作業が行われた。
そして平成12年3月に「山ン口の坂」の姿が蘇ったと云う。     【山ン口の坂保存会・現地案内文】
場所:  さつま町・上中福良 北緯 31゚56′47″ 東経 130゚32′08″  
 
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写真143 坂入り口案内板
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写真144 石の古道「山ン口の坂」はいつまでも残ってほしい
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by ishigaki2010 | 2011-07-21 13:20 | 石の街道
2011年 07月 21日

№62 宮内・弥勒院跡

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写真140 校庭には目通し1.3mのケヤキの古木が昔を語る  
■アクセスと歴史背景                 
JR日豊本線隼人駅前の県道471号北永野田小浜線を北方向に約800m走り、鹿児島神宮前交差点を左折して更に約300m進むと宮内小学校に着く。ここが弥勒院跡である。
 天台宗・弥勒院は隣の鹿児島神宮(中世では正八幡宮、大隅国の一宮)の別当寺で平安時代に創建された。弥勒院は明治の廃仏毀釈により廃寺となったが建物の一部は学問所・明道館となった。その後、宮内小学校となり今日に至っている。          【鹿児島県の歴史散歩】
場所: 霧島市・隼人町神宮  北緯 31゚44′56″ 東経 130゚44′35″ 
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写真141 弥勒院跡の石垣は高さ2.8m
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by ishigaki2010 | 2011-07-21 09:06 | 神社仏閣
2011年 07月 18日

№61 鹿児島神宮

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 写真138 朱塗りの大鳥居をくぐり、石橋を渡ると朱色の拝澱
■アクセスと歴史背景                 
JR日豊本線隼人駅前の県道471号北永野田小浜線を北に向かって約800m走り、鹿児島神宮前交差点を左折して更に約300m進むと宮内小学校があり、その奥に大隅一宮、国分正八幡・鹿児島神宮がある。
 鹿児島神宮は天津日高日子穂穂手見尊、豊玉比賣命、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇などを祭神としている。社殿の手前には建久年間(1190~99)に植樹されたと云われる、樹齢800年の大楠の神木が往時を偲ばせてくれる。社伝では和銅元年(708)の創建とされ、平安時代末期から鎌倉時代に神域を南九州一帯に拡げ、京都の石清水八幡宮とも繋がっていたと云う。          【鹿児島県の歴史散歩】
場所:  霧島市・隼人町内  北緯 31゚45′00″ 東経130゚44′28″ 
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写真139 宝暦6年(1756)に島津重年が再建した鹿児島神宮 拝殿の石垣が古さを物語ってくれる
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by ishigaki2010 | 2011-07-18 20:56 | 神社仏閣
2011年 07月 16日

№60 妙見発電所

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写真136 水路式発電の2号、3号ヘッドタンク             
■アクセスと歴史背景                 
霧島市妙見温泉街から国道223号を北に進み、牧園町安楽の安楽橋を渡って、県道470号犬飼霧島神宮停車場線を犬飼滝方向に坂道を約450m進むと道路左側に九州電力妙見発電所の水路施設がある。
 妙見発電所は2級河川天降川及び中津川に堰を造って導水した水路式水力発電所で大正10年8月に運転を開始した。出力3,800kw、発電所建屋は堅牢な雰囲気の石造りである。なお近くには、同じ天降川水系から導水して造った明治40年6月運転開始、出力2,100kwの水天淵発電所、昭和9年12月運転開始、出力5,000kwの塩浸発電所がある。  【九州電力資料・鹿児島県の近代化遺産】
場所: 霧島市・牧園町中津川 北緯 31゚48′34″  東経130゚45′36″   写真136 水路式発電の2号、3号ヘッドタンク 
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 写真137 大正6年頃に築造された切石積みのヘッドタンク(流量の変動を抑える施設)
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by ishigaki2010 | 2011-07-16 21:47 | 石造構造物
2011年 07月 12日

№59 牧園の石造倉庫

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写真132 間口15.2m、妻壁7.8m、軒高6.5mの切石積み構造
■アクセスと歴史背景                 
霧島市牧園麓の牧園小学校前交差点にこの平屋建瓦葺きの石造倉庫がある。
 この石造倉庫はJAあいら牧園支所に隣接して建っており、妻壁に彫られている「牧」の文字から牧園町農業協同組合時代に農協の倉庫として築造されたものと思われる。大正7年(1918)に建てられ、外観からは2階建てに見えるが、中央の帯状瘤出し部には床は無く、下方部の壁には1段置きに小口が見えることから、控え璧付き構造で建物の安定を図っているものと見受けられる。  【鹿児島県の近代化遺産】
場所:  霧島市・牧園町宿窪田 北緯 31゚51′08″ 東経130゚45′18″e0206650_9353747.jpg
写真133 「牧」の彫り込み
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写真134 凝灰岩の切石布積み
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写真135 一段置きに控え璧の小口が見える







   
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by ishigaki2010 | 2011-07-12 09:42 | 石造倉庫
2011年 07月 10日

№58 横川・山ヶ野金山

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写真128 山ヶ野金山・恵比須堂
■アクセスと歴史背景                 
さつま町胡麻目から県道50号牧園薩摩線を横川方向に約3.8km進むと道路左に山ヶ野の入口となる茶屋集落に着く。ここから山ヶ野集落までは北西方向に約1km。
 旧横川町の山ヶ野金山(別名永野金山)は、地表に金が凝集していたと云われ、明暦2年(1656)年に幕府が採掘を許可し金の産出が始まった。当時は1万2千人の人口を擁し、明治40年には永野に電力による精錬所ができるまで活気を呈したと云う。集落内には火入れ坑、谷頭精錬所、妙雲山遠沾寺、禅宗久昌寺、金山奉行所、御仮屋、来辺山護念寺、薬師堂、田町遊郭、刑所、金山口屋(関所)、青化精錬所等の跡地が数多くあり、当時のゴールドラッシュにわく山ヶ野を物語ってくれる。【山ヶ野区会・案内文】
場所:  霧島市・横川町山ヶ野 北緯 31゚38′22″  東経130゚54′15″       
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写真131 各所に点在する自稼堀坑跡
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写真129 山先役宅跡の石蔵と屋根付き門
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写真130 集落内の古い石垣
 
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by ishigaki2010 | 2011-07-10 22:39 | 民家の石垣
2011年 07月 10日

№57 永野金山・鉱業館跡

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写真126 明治11年頃にあった鉱業館の跡地
■アクセスと歴史背景                 
さつま町永野の国道504号北薩空港道路と主要地方道50号牧園薩摩線の交差点から県道50号を横川方向に約2.8km走ると、道路左側に永野金山・鉱業館敷地跡の石積みだけが残っている。
 永野金山は明治4年(1871)の廃藩置県後、島津家が経営した。島津家は山ヶ野鉱業館を設立し近代化を図り、一時は従業員千人を超える企業に発展したが、昭和18年(1934)太平洋戦争戦局の悪化に伴い操業停止に至った。戦後、昭和25年に再興されたが昭和28年(1953)には廃山となった。【鹿児島歴史探訪】
 場所: さつま町・山峰 北緯 31゚36′32″  東経130゚55′13″ 
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写真127 石積みだけが往時の面影を残している
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by ishigaki2010 | 2011-07-10 20:16 | 石垣
2011年 07月 03日

№56 永野金山・胡麻目坑

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さつま町・胡麻目
 さつま町永野の国道504号北薩空港道路と主要地方道50号牧園薩摩線の交差点から県道50号を横川町丸岡公園方向に約3.2km走ると、道路左側に永野金山胡麻目坑の坑口が見える。
 永野金山は寛永17年(1640)祁答院地方の領主島津久通が家臣内山与右衛門に探査を命じて開かれた金鉱山で、旧薩摩町永野と旧横川町山ヶ野にまたがることから山ヶ野金山とも呼ばれていた。最盛期には約2万人の鉱夫が働き、文化元年(1804)年には年産金量5,625kgを記録し、佐渡金山1,875kgを抜き日本一の産金量を誇ったと云う。                       【鹿児島県の歴史散歩】
場所:北緯 31゚36′56″ 東経130゚54′51″ 写真123 島津家の家紋が残る永野金山 最盛期は金堀職人2万人が働いていたと云う 
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写真124 横川町山ヶ野まで通じていた胡麻目坑
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写真125 六番坑道・胡麻目坑口の左壁    



       
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by ishigaki2010 | 2011-07-03 16:21 | 石造構造物