薩摩の石組み

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2011年 08月 31日

№79 志布志屋敷

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写真178 緑の生垣に囲まれた郷士屋敷 
■アクセスと歴史背景 志布志市若宮、県道65号日南志布志線沿いの志布志小学校から前川の右岸を約300m上流に進むと小渕橋に着く。橋の袂に生垣に囲まれたこの旧郷士屋敷がある。
 志布志城は麓地区の内城、松尾城、高城、新城をあわた総称で、そのうち志布志小学校背後の内城は最も大きく、周囲24町、高さ40間、通称城山と呼ばれ5つの廓から出来ていた。郷士屋敷は前川右岸の城山を取り囲むように配置されていたと思われる。              【志布志町誌・上巻】               場所:志布志市・若宮 北緯 31゚29′00″ 東経131゚06′36″    
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写真179 生垣はクワ科イチジク属の常緑蔓性低木・いたび葛で覆われいる
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by ishigaki2010 | 2011-08-31 22:13
2011年 08月 30日

№78 志布志麓

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写真176 地頭仮屋の北西角裏門前の石垣■アクセスと歴史背景                 
志布志市市街地から県道65号南郷志布志線を北に向かうと志布志小学校に着く。
 小学校背後の内城は城山と呼ばれ、島津氏久、元久及び新納家累代の居館の跡である。藩政時代、志布志地頭政治の中心となった地頭仮屋は島津氏久以来の居館の様式をそのまま伝え、藩公御座の間、大広間、御番所、伺候所、結所、兵具蔵、焔硝蔵などがあったと云う。地頭仮屋の正門(現在小学校西側正門の所)には大門があり、大門前通りは犬の馬場と呼ばれ犬追物の催された場所であった。大門の内側は広場(現小学校下校庭)で弓場があり、裏門は旧内城の大木戸に当たる岩坂山下家の門前にあり、新納家裏門とも伝えられている。                     【志布志町誌・上巻】
場所: 志布志市・若宮 北緯 31゚28′ 57″ 東経131゚ 06′25″             
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写真177 堅牢な古い石積みは遠き歴史を偲ばせる
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by ishigaki2010 | 2011-08-30 21:24 | 武家屋敷
2011年 08月 28日

№77 志布志の石蔵

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写真174 「志布志産業組合」と刻まれた石蔵
■アクセスと歴史背景                 
志布志市帖の前川左岸志布志漁港から旧県道65号南郷志布志線を南郷に向かって進み、旧権現橋を渡ると志布志産業組合の石蔵に着く。
この前川河口付近は、藩政時代から船奉行所や蔵屋敷が建ち並び、港町として賑わった地区で明治期から昭和初期に建てられたと思われる石蔵が今なお残っている。場所: 志布志市・有明 北緯 31゚28′46″    東経131゚06′23″
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写真175 間口6m、奥行き24mのいまだ堅牢な石蔵
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by ishigaki2010 | 2011-08-28 20:19 | 石造倉庫
2011年 08月 26日

№76 津口番所跡

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写真171 高さ3mの津口番所の石垣 
■アクセスと歴史背景                 
 志布志市下町の国道220号と県道63号志布志福山線交差点を串間市方向に約400m行くと二級河川前川に架かる権現橋に着く。この橋の袂、前川河口の右岸に津口番所跡がある。
 志布志は「志布志津」と呼ばれ、中世から近世初期にかけて海外との交易が盛んで、九州東南部における和冦の根拠地であったと云われている。また、藩政末期になると琉球や中国との密貿易の基地として活況を極め明治初期まで数々の豪商を輩出している。藩政時代の志布志津は、前川河口部の湾口から宝満橋付近までを津として利用しており、番所の上流150mにあった船着き場付近には船奉行所や蔵屋敷が建ち並び、大阪表へ出荷する廻船や交易船の積み荷は全て津口番所で厳重な取り調べを受けていた。                                       【現地案内文】
場所: 志布志市・有明 北緯 31゚28′41″ 東経131゚06′23″ 
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写真172 石垣の上部には開口部があり、番所ならではの構造となっている
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     写真173 前川河口に築かれた番所の雑割石垣
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by ishigaki2010 | 2011-08-26 21:52 | 石垣
2011年 08月 25日

資料1 石積み様式 №51~№75 資料2 石積み様式の分類 №51~№75 

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by ishigaki2010 | 2011-08-25 20:00
2011年 08月 23日

№75 大崎・馬場の軽石垣

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写真169 軽石で覆った土塁石垣 高さ1.3m
■アクセスと歴史背景                 
大崎町役場から県道64号大崎輝北線を輝北町方向に約300m進むと馬場集落に入る。集落の西側に、軽石で築いた石垣の屋敷が在る。
 軽石塊は姶良カルデラからの火砕流堆積物である入戸火砕流に含まれており、軽石の大きさは通常数十センチメートル程度で、比重は文字どおり小さく容易に加工される石材である。ここでは土塁の外側に軽石塊を積んで石垣としている。シラス台地ならではの石組みである。                  場所: 大崎町・仮宿 北緯 31゚25′54″ 東経 131゚00′08″ 
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写真170 鹿児島のシラス文化から生まれた軽石塊で築いた石垣
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by ishigaki2010 | 2011-08-23 20:55 | 民家の石垣
2011年 08月 21日

№74 串良・地頭仮屋跡

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写真167 串良の地頭仮屋跡
■アクセスと歴史背景                 
鹿屋市串良町の国道220号と県道73号鹿屋高山串良線の宮下交差点から串良総合支所方向に約400m進むと串良・仮屋跡に着く。現在は中央公民館敷地となっている。
 串良は薩摩藩の92の直轄領外城のうちの一つで、地頭仮屋は鶴亀城下(串良小学校校舎下の用水路と石垣に囲まれた所)に置かれ、1869~1873年は地頭に飯牟礼八郎俊良の名が残っている。また、旧串良町役場前の道路は仮屋馬場と云い、昔から広い通りであつた。           【串良郷土誌】
場所: 串良町・串良 北緯 31゚19′59″ 東経 130゚53′45″
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写真168 往時が偲ばれる布石積み石垣
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by ishigaki2010 | 2011-08-21 21:44
2011年 08月 21日

№73 吾平・地頭仮屋跡

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写真165 吾平・地頭仮屋跡近くの麓屋敷
■アクセスと歴史背景                 
鹿屋市吾平町麓の吾平支所から県道68号鹿屋吾平佐多線を鹿屋方向に約300m進むと地頭仮屋跡に着く。仮屋跡の北側は通称城山と云われる山古城があった所である。
 この地頭仮屋跡は北側には栫馬場、南側には仮屋馬場が通り、麓屋敷の中央に位置していた。ここは、明治6(1873)鹿児島県第61郷校が設置され明治13年頃麓村・下名村戸長役場となった。さらに明治22年には姶良村役場が設置されたが庁舎は地頭仮屋時代のものを使用したと云う。大正15年姶良村役場は現吾平支所所在地に移転した。現在は僅かに残った石積みが往時を偲ばしてくれる。【吾平町誌・下巻】
場所:  吾平町・麓 北緯 31゚23′34″ 東経 130゚57′32″
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写真166 麓屋敷の大きな割石の布積み石垣
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by ishigaki2010 | 2011-08-21 19:47
2011年 08月 19日

№72 高隈・武家屋敷

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写真163 石造門と玉石垣の武家屋敷
■アクセスと歴史背景                 
鹿屋市高隈の国道504号と県道551号高隈内ヶ迫線の交差点から高隈ダム方向に国道504号を約400m進むと高隈麓に着く。国道沿いに玉石垣に囲まれた武家屋敷が残存している。
 高隈町重田は高隈城があった所である。当地は肝付氏が治めていたが観応2年(1351)に島津以久の所領となり、享禄の頃(1528)には新納忠勝領、永禄の頃(1558)には肝付兼続領、その後、伊集院忠棟領、文禄4年(1595)には細川幽斉が豊臣秀吉から与えられている。そして、慶長4年(1599)島津義弘の征韓の軍功により島津氏の所領に複す等、数多くの変遷を繰り返している。  【鹿屋市史・上巻】
場所: 鹿屋市・高隈中央 北緯 31゚29′29″ 東経 130゚52′16″ 
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写真164 近くの串良川の河原で採取したと思われる玉石垣 高さ1.5m
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by ishigaki2010 | 2011-08-19 16:09 | 武家屋敷
2011年 08月 16日

№71 高隈・中津神社参道

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写真161 中津神社参道
■アクセスと歴史背景                 
国道504号と県道67号高隈串良線の鹿屋市下高隈町三角交差点を北方向に旧道を約2.2km進むと高隈市街地中央の中津神社に着く。
 中津神社は高隈郷の総鎮守社で主祭神は中津少童命である。現本殿は承応2年(1653)に造営されたもので元禄元年(1688)新田開発を機に現在位置に移築された。当神社に伝わる「鈎引き祭」は五穀豊穣を祈る神事で600年も以前から伝えられ毎年2月に雄木と雌木の引き合いが行われている。 【現地案内文】
場所: 鹿屋市・上高隈 北緯 31゚29′26″ 東経 130゚52′33″ 
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写真160 参道には3箇所の踊り場             
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写真162 参道の石段は蹴上高10cm、幅3m85cm、総数74段
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by ishigaki2010 | 2011-08-16 21:12 | 神社仏閣