薩摩の石組み

ishigumi.exblog.jp
ブログトップ

<   2011年 10月 ( 41 )   > この月の画像一覧


2011年 10月 31日

№130 津貫の石造倉庫

e0206650_947967.jpg


写真303 津貫のエキゾチックな石造りの焼酎工場
 ■アクセスと歴史背景                 
 南さつま市の市役所前交差点から国道270号を枕崎方向に南下して約8.4km行くと津貫に着く。国道沿いに本坊酒造津貫工場があり、ここに石造りの貯蔵倉庫が建っている。
 この建物の創建年代は不明だが、昭和40年代末に現在地に移築されたとのこと。梁間9.5m, 桁行約30m,壁は14段積み,半円アーチ構造の出入口,2本の扶壁,屋根には左右に塔屋があり、重厚でエキゾチックな意匠構造である。                         【鹿児島県の近代化遺産】
場所: 南さつま市・津貫 北緯 31゚21′29″ 東経130゚17′08″   
e0206650_9533542.jpg


写真304 アーチ構造の出入り口
e0206650_9551843.jpg


写真305 重厚な14段の石積み構造
[PR]

by ishigaki2010 | 2011-10-31 09:56 | 石造倉庫
2011年 10月 30日

旧鹿児島刑務所正門

e0206650_20541383.jpg


写真301 ヨーロッパの城門の風格が漂う
■アクセスと歴史背景                 
鹿児島市平之町の国道3号平田橋交差点から国道を伊敷方向に約1.5km行くと、中草牟田交差点に着く。ここで左折して甲突川に架かる鶴尾橋を渡ると鹿児島アリーナに着く。ここに旧鹿児島刑務所の石造りの正門が残っている。
 旧鹿児島刑務所は鹿児島出身の山下啓次郎氏が設計したもので、中世ヨーロッパの城門を思わせるゴシック建築で重厚な雰囲気を漂わせている。石材は甲突川上流の肥田石を使用したと云われ、当時、囚人の労役を使い7年の歳月をかけて明治41年(1908)に完成した。なお、当刑務所は昭和61年(1986)に姶良郡吉松に移転されるまで78年もの間使用された。かつて、この門と高い塀に囲まれた内側は罪を犯した人々が償いの生活を強いられた場所である。             【鹿児島県の歴史散歩】                場所: 鹿児島市・永吉町 北緯 31゚36′06″ 東経130゚32′13″
e0206650_20594561.jpg


写真302 肥田石を使ったと云われる高さ約10mの石塔
[PR]

by ishigaki2010 | 2011-10-30 21:01 | 石造構造物
2011年 10月 30日

№128 清水町・南方神社

e0206650_20422177.jpg


写真299 上町五社の一つ南方神社境内 
■アクセスと歴史背景                 
 鹿児島市清水町の国道10号戸柱橋交差点から国道を鳥越トンネル方向に約400km行くと、道路左沿いに南方神社がある。
 南方神社は長野県の諏訪大社の分社で、島津家第5代貞久が東福寺城を攻略して鹿児島入りした頃、出水山門院から移されこの地に建立されたのが南方神社である。南方神社は諏訪神社ともいい建御名方命と事代主命を祭り上町五社の第一社として歴代藩主の信仰が厚く、諏訪市と呼ばれる市が開かれていた。上町五社は八坂神社、稲荷神社、春日神社、若宮神社、そしてこの南方神社をいう。現在、社殿再建計画があり2009年度内の着工・完成を目指している。              【現地案内文】
場所: 鹿児島市・清水町 北緯 31゚36′35″ 東経130゚34′09″ 
e0206650_20475873.jpg


 写真300 僅かに残る石積み 3段積み0.85m
[PR]

by ishigaki2010 | 2011-10-30 20:49 | 神社仏閣
2011年 10月 29日

№127 寺山の炭窯跡

e0206650_1012316.jpg


写真297 炭窯は地上約3m,地下約1m,直径5~6m 
アクセスと歴史背景                 
鹿児島市吉野町上花棚から県道220号寺山公園線を約3.2km西に向かうと寺山集落の三叉路に着く。ここから更に約200m進むと寺山自然遊歩道の入口がある。入口から山中の遊歩道を約100m歩くと寺山炭窯跡がある。 
 この炭窯は第28代藩主島津斉彬が1850年代に設けた炭窯の跡である。斉彬は吉野町磯に反射炉や溶鉱炉を造り全国に先駆けて工業を興したが、その燃料として火力の強い白炭が大量に必要であったため、家臣山本籐助を紀州に派遣して製炭法を学ばせ、寺山に3基の大がまを設けて白炭の生産を行わせた。ここにその窯跡の一つが残っている。                       【現地案内文】
場所: 鹿児島市・寺山 北緯 31゚39′44″ 東経130゚36′03″
e0206650_1063918.jpg

 
写真298 残っている炭窯の石積みは 高さ地上約3m,9段積み
[PR]

by ishigaki2010 | 2011-10-29 10:08 | 石造構造物
2011年 10月 28日

№126 浜之市の石垣

e0206650_19553467.jpg

写真292 高さ4mの加治木石の石壁
アクセスと歴史背景                 
霧島市隼人町浜之市の国道10号と県道473号崎森隼人線の隼人港交差点から加治木町方向に約60m進むと国道の右側にこの石壁がある。
 この石壁は民家の境界に築かれているが、民家の軒下まで高さが約4mもある。劣化の状況から恐らく築後100年以上は経過しているものと思われる。通常の石垣1.5mに継ぎ足した形となっているが、目的は定かでない。石壁は加治木石で積まれているが、劣化した部分の表面に軽石や礫が露出しており、加治木石の成因が溶結凝灰岩であることが、はっきりと解る状態となっている。              場所: 霧島市・隼人町浜之市 北緯 31゚43′34″ 東経 130゚43′51″     
e0206650_2015393.jpg


写真293 露出した軽石 35×45mm
e0206650_2062979.jpg

 
 写真294 浮き出た礫 65×35mm
e0206650_2071395.jpg


写真295 劣化して黄色に変色
e0206650_20132181.jpg

写真296 劣化が進んでいない石
[PR]

by ishigaki2010 | 2011-10-28 20:10 | 民家の石垣
2011年 10月 27日

資料1 石積み様式 №121~№125 資料2 石積み様式の分類 №121~№125 

e0206650_1829056.jpg

e0206650_18294263.jpg

[PR]

by ishigaki2010 | 2011-10-27 18:30 | 石組みの分類
2011年 10月 26日

№125 平佐の麓屋敷

e0206650_21212062.jpg


写真290 ひっそりとたたずむ平佐の麓屋敷
■アクセスと歴史背景                 
JR川内駅前から県道333号川内祁答院線を川内駅裏に向かって約400m行き、ガードを潜って左折し平佐西小学校脇を約300m進む、さらに右折して60mの所に平佐の麓屋敷がある。
 平佐町字藤崎、寄待、八幡馬場、庵ノ城の平佐西小学校や川内駅一帯が平佐城(別名 諏訪之城、是枝城)跡である。その沿革は建久年間(1190頃)薩摩郡本郡司薩摩太郎忠友の居城で、忠友-忠持-忠国-忠任-忠氏と続き、その後は不詳。天正15年(1587)平佐の地頭・桂神祗忠昉は僅かな手兵で豊臣秀吉とこの城で戦い、豊臣軍を辟易させたと云われている。その後、時代は経過して平佐地区は北郷氏の私領となり明治を迎えた。                        【川内市史・下卷】
場所: 薩摩川内市平佐麓 北緯 31゚48′49″ 東経 130゚18′50″ 
e0206650_21281338.jpg

写真291 風化が進む麓屋敷の石垣 高さ1.35m,4段
[PR]

by ishigaki2010 | 2011-10-26 21:29 | 武家屋敷
2011年 10月 26日

№124 隈之城の麓屋敷

e0206650_2185999.jpg


写真288 岩永三五郎築造の石橋 径間2m,拱矢1.6m,リング厚34cm
アクセスと歴史背景                 
薩摩川内市東向田町の国道3号川内駅前交差点から、旧国道3号をいちき串木野市方向に向かう。約2kmで隈之城交差点に着く。ここに隈之城の麓屋敷がある。
 隈之城郷の郷士集落は、宮崎、隈之城麓、尾白江にあり、その地頭館は隈之城麓に置かれたと云われている。なお、当屋敷の前を流れる小水路には、鹿児島市の甲突五石橋を架けた肥後の石工岩永三五郎が造ったと云われる石造アーチ橋が架かっている。川内の平佐郷は大工頭・阿蘇鉄次右衛門鉄矢の出身地である。阿蘇鉄也は岩永三五郎と組んで藩内の石造橋、河川改修、干拓などを手掛けていることからも頷ける。因みに、川内地区には、江ノ口橋(現存)、降来橋(現存)、仏生橋、妹背橋など由緒ある石橋が数多く架けられている。                       【川内市史・上卷】
場所:  薩摩川内市・隈之城 北緯 31゚47′39″ 東経 130゚18′36″
e0206650_21144462.jpg
 

写真289 古色蒼然たる古き時代の石垣 高さ2.5m,9段積み
[PR]

by ishigaki2010 | 2011-10-26 21:15 | 武家屋敷
2011年 10月 26日

№123 山川石の屋敷

e0206650_20571862.jpg


写真286 山川潮見町の山川石のお屋敷
■アクセスと歴史背景                 
指宿市山川・潮見町の山川支所の斜め角前に山川石の石垣で囲まれた立派なお屋敷がある。
 このお屋敷の石垣は黄色みを帯び、華やかな色合いの山川石が使われている。山川石は薩摩半島山川湾南部一帯に分布する岩石で、山川火砕流に属している。墓石や灯籠などに利用されており、風化した軽石を多く含んでいる凝灰岩である。鹿児島市の島津家の菩提寺福昌寺にある島津斉彬をはじめとする藩主の墓石にも使われている。
場所:  指宿市・山川潮見町 北緯 31゚12′13″ 東経 130゚38′20″ 
e0206650_2131834.jpg

                 写真287 黄色みを帯びた華やかな山川石
[PR]

by ishigaki2010 | 2011-10-26 21:04 | 民家の石垣
2011年 10月 26日

№122 山川・地頭仮屋跡

e0206650_1724850.jpg


写真282 市有形文化財指定の地頭仮屋跡石塀
■アクセスと歴史背景                 
指宿市山川・潮見町の旧山川町役場・現指宿市山川支所敷地が地頭仮屋跡である。 
 この旧山川町役場の庁舎を取り囲んでいる石塀は地頭仮屋時代のもので、地頭仮屋は江戸時代に山川郷の政治を司っていた役所で、曖・横目・組頭の三役が置かれていた。曖は郷士年寄とも呼ばれ、郷内全般の政務を司り、横目は諸務取次、検察訴訟に当たり、組頭は郷士の指導と仮屋の警備を行っていた。石塀は北側と南側は殆ど原型を留めていないが、東側と西側は大部分が残っている。明治初年に地頭職制が廃止されてから、この地は軍政所、学校と変遷を経て今日に至っている。 【現地案内文】
 場所: 山川・潮見町 北緯 31゚12′14″  東経 130゚38′22″ 
e0206650_17145589.jpg


写真283 東・北側の石塀
e0206650_17164352.jpg

   写真284 山川石の蛙像
e0206650_17184668.jpg


写真285 黄色みがかった山川石の石塀 高さ2.6m
[PR]

by ishigaki2010 | 2011-10-26 17:20 | 御仮屋跡