人気ブログランキング |

薩摩の石組み

ishigumi.exblog.jp
ブログトップ
2011年 10月 26日

№120 坊津・中坊

e0206650_8505974.jpg


写真277 中ノ坊から下浜に至る道路脇の石垣
■アクセスと歴史背景                 
南さつま市の坊津支所から国道226号を防泊に向けて約7.5km南下すると中ノ防に着く。中ノ坊から下浜の港に下る道路脇にこの石垣がある。
 防浦の港は中国や琉球との貿易拠点として繁栄した港で、「唐の港」「鶴の港」と呼ばれた。廃仏毀釈で一乗院が破壊された中坊の町は道路脇の石垣のみが昔を物語ってくれる。 【坊津町観光マップ】        場所: 南さつま市・坊津中坊 北緯 31゚16′05″ 東経 130゚13′48″ 
e0206650_8593060.jpg


写真278 石垣のみが昔の面影を僅かに残している

# by ishigaki2010 | 2011-10-26 09:01 | 石垣
2011年 10月 21日

№119 坊津・八坂神社

e0206650_20264714.jpg


写真275 海際に建つ鶴ヶ崎の八坂神社
■アクセスと歴史背景                 
南さつま市の坊津支所から国道226号を防泊に向けて約7.5km南下すると中ノ防に着く。中ノ坊から下浜の港に下ると、防浦に突出する鶴ヶ崎の突端に八坂神社・別名祇園神社がある。
 この八坂神社は古くから坊一円の産土神として尊信せられ、代々鳥原家が社掌である。「社寺記」によれば、寛永5年6月26日(1628)上棟式をあげ、更に安政4年9月(1857)に改築したとされている。祭神は素盞鳴命、稲田姫、八王子の三柱で御神体は鏡である。       【坊津町郷土誌・上巻】
場所: 南さつま市・坊津町中坊 北緯 31゚16′05″ 東経 130゚13′37″ 
e0206650_20335395.jpg


写真276 潮風に堪えている神社裏の石垣

# by ishigaki2010 | 2011-10-21 20:34 | 神社仏閣
2011年 10月 20日

№118 笠沙・谷山の段々畑

e0206650_9113858.jpg


写真272 山の中腹まて゛続いた段々畑
■アクセスと歴史背景                 
南さつま市大当から国道226号を高崎鼻方向に行く。番所を過ぎて大当から約3kmの大崩に着く。大崩から更に約600m程進むと道路の左・山手に「谷山の段々畑」が見える。
 谷山の段々畑は標高327mの「乗越の岡」の中腹まで続き、江戸の後半以降に石積みの畑が造られたと云われている。現地案内板によると、谷山の段々畑での耕作放棄は平成6年の頃のことで、それ以前は薩摩芋を中心に麦、菜種、キヌサヤ等が生産されており、昭和50年代から60年代にかけては、温暖な気候を利用したマーガレットや菊などの花卉栽培が盛んに行われていたと云う。その後、過疎の波が容赦なくこの地を襲い、今や段々畑の景観は消失する運命にある。            【現地案内文】
場所: 旧笠沙町・片浦 北緯 31゚25′46″ 東経 130゚09′21″ 
e0206650_9215634.jpg

写真273 耕作は放棄されても、残る段々畑の石垣 

e0206650_9511079.jpg
写真274 硬い安山岩質の石垣

# by ishigaki2010 | 2011-10-20 09:27 | 石垣
2011年 10月 19日

№117 石垣群の里・大当(おおと) 

e0206650_2117469.jpg


写真267「石垣群の里」の石碑が建つ三叉路  
■アクセスと歴史背景                 
南さつま市笠沙支所前の国道226号を片浦方向に約4.2km行くと「石垣群の里 大当」の石碑が建っている三叉路に着く。ここの三叉路を左に約300m進んだ所が大当集落の入口である。
 大当集落は80棟余の家屋が軒を寄せ合う集落で、集落全体が石積みで包まれている。標高20~50mの高台にある集落からは東シナ海の絶景が眼下に見える。集落内の石畳道路の総延長は約1300m、石積みは野面積みで、石の採取地は野間岳。                       【現地案内図】
場所: 旧笠沙町・大当 北緯 31゚25′11″  東経 130゚10′10″ 
e0206650_21223150.jpg
        
写真268 集落内道路の延長は約1300m
e0206650_21243590.jpg
 
   
写真270 80余棟が軒を寄せ合う大当集落
e0206650_21254415.jpg


写真271 東シナ海に突き出た番所鼻を展望
e0206650_21263927.jpg


写真269 雑石空積み石垣       
 

 

# by ishigaki2010 | 2011-10-19 21:29 | 民家の石垣
2011年 10月 19日

№116 平山城跡

e0206650_2059231.jpg

写真264 川辺小学校グラウンドへの階段は62段■アクセスと歴史背景                 
南九州市川辺町市街地を通る県道27号谷山知覧線の山手側高台が平山城跡である。平山城跡は現在諏訪運動公園や川辺小学校敷地となっている。
 平山城は1100年頃、伊作平次郎良道の嫡男道房が河邊の領主となった時に築城したと伝えられている。城は本丸があつた本城、花見城、天神城、新城の四域があった。河邊氏が滅亡した後、島津伊久、久世の居城となった。応永24年(1417)島津犬太郎が平山城主の時、松尾城にいた部下の酒匂紀伊守が島津豊久と通じたことが原因で争いとなり平山、両添の地で激戦があった。この戦いは「河邊平山の役」として伝えられている。                            【川辺町郷土史】
場所: 南九州市・川辺町 北緯 31゚23′35″ 東経 130゚23′55″
e0206650_20553750.jpg
             
写真265 校庭のケヤキの大木目通し径は1.4m
e0206650_20564145.jpg
写真266 平山城への階段は幅5m,斜長26m

# by ishigaki2010 | 2011-10-19 20:57 | 石造構造物
2011年 10月 17日

№115 知覧・武家屋敷群

e0206650_2219299.jpg

写真262 知覧武家屋敷・佐多直忠邸■アクセスと歴史背景                 
南九州市市役所、旧知覧町役場前の県道23号谷山知覧線南側一帯は昭和56年に知覧伝統的建造物保存地区として国の選定を受けた。
 知覧は南薩の小京都と云われ、かつては佐多氏の私領であったが、知覧麓の本馬場通り、城馬場通り等の区画道路は18世紀中頃知覧領主の島津久峰の代に造られ、武家屋敷群が形成された。本馬場通りを挟んで、7つの庭園が現存し知覧武家屋敷庭園として名勝に指定されている。森重堅邸庭園は築山池泉式庭園であるが、西郷恵一郎邸庭園他6庭園は大刈り込みと石組みを配した枯山水庭園で、標高517mの母ヶ岳が借景に取り入れられ当時の武家社会の品格を感じる庭園群である。      【現地案内文】      場所: 南九州市・知覧麓 北緯 31゚22′44″ 東経 130゚26′46″ 
e0206650_17293330.jpg
 
 
写真263 石敢當がはめ込められた石垣 高さ1.25m,10段

# by ishigaki2010 | 2011-10-17 22:38 | 武家屋敷
2011年 10月 16日

№114 錫山

e0206650_19354466.jpg

写真258 屋敷跡の杉山
■アクセスと歴史背景                 
県道20号の鹿児島加世田線を谷山ICから加世田に向けて約8km行くと錫山入口に着く。ここを左折して約400m進むと錫山バス停がある。ここら一帯が錫山集落である。
 錫山は藩政時代に薩摩藩直営の錫鉱山があり、山ヶ野、鹿籠の金山と共に三山と云われた。明暦元年(1655)年に島津家家臣八木元信が発見した山で、元禄14年(1701)に江戸幕府の許可を得て藩の直営鉱山となった。天保年間(1830)から戦後の昭和63年(1988)まで操業が続き、昭和54年(1979)に産出量は全国第2位の84.5トンを誇った実績がある。集落内には古い石積みが各所に残り往時を偲ばせてくれる。                                【鹿児島県の歴史散歩】
場所:鹿児島市・錫山 北緯 31゚29′35″ 東経 130゚27′33″
e0206650_19403218.jpg

    
写真259 杉山の古井戸跡
e0206650_19412037.jpg


 写真260 古い屋敷の石積み
e0206650_19432992.jpg


写真261 古い屋敷の雑石積み石垣 

# by ishigaki2010 | 2011-10-16 19:45 | 石垣
2011年 10月 16日

№113 竹迫川交易跡

e0206650_19271730.jpg

写真256 竹迫川付近の民家の石積み■アクセスと歴史背景                 
南九州市知覧町のJR指宿枕崎線松ヶ浦駅から県道262号霜出南別府線を南に約300m下ると国道226号交差点に至る。この交差点から更に海岸方向に約200m進み十字路を右折して約500m行くと竹迫川に至る。
 竹迫川河口付近では中国から船で運ばれてきた13世紀~16世紀の陶磁器が出土する。このことから知覧の海岸線では中国との往来が盛んであったことが伺える。1588年、豊臣秀吉が倭冦取締りを出していた最中、第11代知覧領主佐多慶の一族久福の家人が海賊行為を働き、島津本家の第17代藩主島津義弘の怒りにふれて、佐多氏は川辺宮村に封印された事件も起きている。         【現地案内文】
場所: 南九州市・竹迫  北緯 31゚15′23″  東経 130゚23′25″
e0206650_19314652.jpg


写真257 歴史を語る質素な石積み

# by ishigaki2010 | 2011-10-16 19:32 | 石垣
2011年 10月 16日

№112 門之浦荷揚場

e0206650_19135045.jpg

写真254 藩政時代から明治期にかけて賑わった門之浦の港
■アクセスと歴史背景                 
南九州市頴娃町のJR指宿枕崎線頴娃大川駅から国道226号に出て更に海岸方向に進み、加治佐川を渡ると知覧町門之浦に着く。加治佐川の河口部には古い石積み護岸の荷揚場がある。
 知覧町郷土誌には次のような記述がある。「知覧には松ヶ浦、門之浦、東塩屋浦、西塩屋浦の4箇所の浦が在った。浦は在と呼ばれていた農村地区とは異なる行政区域で、漁業と海上交通の専門家集団である。海上交通は交易の機会が多く、在よりもはるかに商業化の可能性が強く、致富の機会も大きかった。門之浦の仲覚兵衛のごときは、その一例である。」             【知覧町郷土誌】
場所: 南九州市・門之浦 北緯 31゚15′12″ 東経 130゚24′36″
e0206650_19224274.jpg

 
写真255 往時が偲ばれる門之浦の荷揚げ護岸

# by ishigaki2010 | 2011-10-16 19:23 | 石造構造物
2011年 10月 16日

№111 知覧・仲覚兵衛生誕の地

e0206650_1723758.jpg

写真252 仲覚兵衛生誕の地
■アクセスと歴史背景                 
南九州市頴娃町のJR指宿枕崎線頴娃大川駅から国道226号に出て更に海岸方向に進み加治佐川を渡ると知覧町門ノ浦に着く。門之浦バス停前に仲覚兵衛生誕の地がある。
 仲覚兵衛(1715~1800)世界で初めて獣骨が肥料として効果のあることを確認したと云われている。また、薩摩藩が財政立て直しのため様々な産物の増産を奨励している時期に「山建会所」という骨粉配給所を設置し菜種、薩摩芋、水稲の増産を図った。この功績で「仲」という名字,帯刀、可楽という雅号を知覧領主島津久邦から下賜されていた。なお、仲は一向宗の信者であったと云う。【現地案内文】              場所: 南九州市・門之浦 北緯 31゚15′12″ 東経130゚24′34″                         
e0206650_17294180.jpg

 
写真253 仲覚兵衛生誕地の石垣 高さ3.5m ,8段積み

# by ishigaki2010 | 2011-10-16 17:30 | 石垣